前編に引き続き、山根信二氏との対談の後編をお送りする。アメリカでゲーム教育が定着した要因、ゲーム教育の教科書の影響力、日本のゲーム教育が立ち後れた要因に迫っていく。

「理系離れ」対策として注目されたゲーム教育

2002年のGDC(Game Developers Conference)時に、IGDA Academic Summit が開催された。これは、 その後CG系の学会のSIGGRAPHなどでも開催されるようになり、点に過ぎなかった個々の大学のゲーム教育が、だんだんとつながるようになっていった。

前編で紹介したカーネギーメロン大学エンターテインメント・テクノロジー・センター (ETC)のランディ・パウシュ教 授は、他の教育機関でもゲーム教育のノウハウを布教していった。ゲーム教育を実践できる人がいない教育機関に対して、ゲーム業界に入り込むことで、どんな実地経験が積めるのかを、自身の体験を元に説明していった。

山根氏は、「さらにIEEE(電気電子技術者協会)や、ACM(計算機協会)といった世界最大の影響力をもつ国際学会のリーダーたちも、パウシュ氏らの動きを 後押しするようになったことが大きい」と話す。

2000年代初めのアメリカは、日本と同様に、学生の「理系離れ」という深刻な問題を抱えていた。そのため、コンピュータサイエンスを教える学部や学科の人気が落ちるという現象が起きていた。理系に進んでくる学生のほとんどを、インド人や中国人などの外国人が占めるという状況も生まれ始めた。この状況を放置すれば、アメリカ自体の国力が落ちてくる。それを科学政策に影響を与える学術機関である、米国科学アカデミーが問題と捉 えるようになったことも、取り組みを支えた。

これまでコンピュータサイエンスに進学しなかったような学生が魅力と感じる内容、また、学生をドロップアウトさせないための教育手法が課題として考えられた。その解決策とし て、2000年代に急成長したゲーム開発を大学教育に取り入れる提案が出てきた。

マイケル・ザイダ氏が行った南カルフォルニア大学の教育改革

山根氏によると、この動きを進めるうえで、特にリーダーシップを発揮したのが、南カリフォルニア大学(USC)工学部のコンピュータサイエンス学科だそうだ。同大学のフィルムスクール(映画芸術学部)は、ジョージ・ルーカスなどの著名人を輩出しており、メディア教育を得意としている。

理系離れの影響を受けて、コンピュータサイエンス学科は入試志望者の倍率が低下していた。そのため大学は、ゲーム教育をカリキュラムのなかに取り込むことを考えた。ただ、 大学内にはゲーム教育の経験をもつ研究リーダーがいなかった。そこで、2005年に科学アカデミーのメンバーでもある海軍大学校のマイケル・ザイダ(Michael Zyda)氏をリクルートしたのだ。

ザイダ氏は、アメリカ陸軍が新兵募集を目的に開発したFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム/一人称視点のシューティングゲーム)である、「America's Army」のディレクターを務めた経験をもつバーチャルリアリティーの研究者だ。このゲームは、社会的な問題解決にゲームを利用するシリアスゲームとしては、最も成功しているものの1つだ。一方で、無料提供されるゲームでありながら、アメリカEpic Games 社のゲームエンジン「Unreal Engine」を使っており、本格的なオンライン対戦ゲームとしても知られている。

ザイダ氏は、新しい考え方をもったゲームのカリキュラムを、コンピュータサイエンス学科にもち込んだ。教育内容を減らすことなく、ゲーム開発につながるものに置き換えていったのだ。たとえばプログラミングの授業は、そのままゲームプログラミングの授業に置き換えた。ゲーム開発を進める過程で、必要なプログラミングスキルを自ら学ぶ姿勢が身についていくという仕組みだ。

併せてETCと同じように、産業界との交流を深めていった。たとえばETC と同様に、エレクトロニック・アーツ(EA)をはじめとする大手ゲーム会社と教育面で連携したりしている。

この仕組みによって、USCの志望率は増加した。さらにこの仕組みは彼一流のやり方で他の学部にも広げられ、大学全体の仕組みとして整えられていった。

学会を通じて、アメリカをゲーム研究・教育の中心地に

山根氏は「ザイダ氏は戦略的に、学会のリーダーをゲーム教育に巻き込んでいくための主導的な役割を担った」と言う。実際に、自らが責任編集者となって学会誌でゲーム特集号を企画した。それも、影響力の大きいIEEEやACMで行っている。(IEEE Computer誌2006年6月号「次世代ゲーム開発者の教育」特集ACM会誌2007年7月号「ゲーム学の創造」特集)IEEEの学会誌であれば、全世界に数十万人の技術者を読者にもっている。ACMも巨大な学会組織だ(SIGGRAPH は、ACM の分科会の1つである)。

ゲーム教育の先駆的な学校であるDigiPen(DigiPen については、第3回で紹介している)やETC の場合には、独自の教育プログラムを作ることに専心していたが、ザイダ氏は学会コミュニティに流れを作り出すことで、世界的なゲーム研究・教育のトレンドを引き起こした。メジャーな学会誌を通じて、情報がアメリカから発信されるようになり、ゲーム研究・教育がアメリカ主導で進んでいく状態が作られた。コンピュータサイエンスをゲームという新しい分野に広げることで、学会が廃れてしまう前に改革したいという学会のキーパーソンたちの考えと、ザイダ氏のリーダーシップはマッチしていた。

また現実的に、この流れは大学にとっても大きなメリットがあった。ゲームを学びたいという学生側のニーズによって、実際に志願者が増加したことで、大学の収益に貢献したからだ。

ゲーム教育への取り組み自体は、ヨーロッパ圏の方が先に行っていたが、各地域で閉じており、メジャーな国際学会にまで広げていこうという考え方は乏しかった。そのため、結果的に、アメリカがリードする現在の状態が生まれた。

ゲーム教育に、どこの大学でも取り組むことが容易に

USCの取り組みがモデルケースとなって、次々にゲーム研究・教育を実践する大学が登場するようになった。

重要なのは、従来の学位を変える必要がなかった点だ。学位はそのままに、ゲーム開発の要素が従来のカリキュラムに組み込まれていった。それによって、たとえばMaster of Computer Science(Games)/コンピュータサイエンス修士号(ゲーム)、Ph.D.(Game Technology)/博士(ゲームテクノロジー)というような、既存の学位にゲーム研究を併記する形が可能になった。(実際にザイダ氏の公式履歴には、Computer Science(Games)、Computer Science (Game Development)の学位をUSCに創設して、コンピュータサイエンスの受験者数を倍増させたという記述がある)これは理系だけでなく、アート分野などの文系にも拡大された。こうした学会誌を通じた教育改革のメソッド化によって、ゲームがアメリカの教育制度のなかに急速に組み込まれたのだ。

山根氏は、この方式について「多くの既存の大学にとってメリットの大きな仕組みである」と指摘する。既存のカリキュラムの仕組みを大きく変更するために、新しいコースを設立したり、新しい建物を作ったりする必要もなければ、大学のコスト要因となる教員の総数をむやみに増やす必要もないからだ。

大学が新しい取り組みを行うと受験生が動く。日本の大学とアメリカの大学の大きな違いの1つは、どんな実績をもった教員がいるか、どんな人物を輩出したかによって、毎年の大学の評価ランキングが変わることだ。USA Today紙など、複数のメディアがランキングを発表し、それは毎年変動する。

現在では、アメリカでゲームデザインやゲーム開発の学位を取れる教育機関は約250校にまで広がっており、ゲームを中心とした、様々な新しくユニークな教育実践が生み出されている。

教科書を生み出すことで学問分野として成熟

山根氏によると、アメリカの大学では、「ゲーム教育は、すでに誰かがリーダーシップを取って引っ張るという段階ではなく、方法論のマニュアル化を進める段階に入っている」そうだ。マニュアル化は、その分野が学問として確立するための重要な土台になる。

たとえば、教科書では「MIT Pressという出版社が重要な役割を果たしている」そうだ。2011 年に日本語版が出版されたゲームデザインについての理論書『ルールズ・オブ・プレイ』ケイティ・サレン、エリック・ジマーマン著(ソフトバンク/原著は2003年)や、『Handbook of Computer Game Studies 』(2005年)といった、高い評価の教科書を出版している。「Handbook」という名前の書籍の発売は、その分野の学問領域がある程度確立しつつある指標と言われている。

多くの実業分野では、その分野のプロはいても、系統立てて教えることができるプロはほとんどいない。そのため、これらの分野を大学で教育する際には、1年以上かけてシステマティックに実施される大学の講義に対応できる書籍をまとめ上げる仕組みが必要となる。2000年代初めは、アメリカのゲーム教育においても、こういった仕組みや教材が存在しない状態だった。

アメリカの大学は、企業と大学が得意な分野をうまく切り分けている。企業は、実地訓練などの職場内訓練(On the Job Training/OJT)が得意であり、一方で大学は、数年がかりで知識や経験を積み上げていくような教育を得意としている。現場で学ぶことと、教科書で学ぶことの良さをうまく理解しながら、効率性の高い教育を追求している。アメリカでも、最初に制作現場から出版されたゲームの理論書は、著者自身のゲーム論、いわば「オレのゲーム論」的な内容だったが、それを系統立てて整理し、教科書化することで、学問領域としての蓄積を深め、知識をツールへと高めていった。

ただ、教科書を書くにはすごいエネルギーが必要だ。そのため、必要な参考文献を揃えたり、執筆原稿を読んで意見を述べたり、といったバックアップを担当するプロの編集者が協力していると思われる。特に『ルールズ・オブ・プレイ』の場合は、博士号の訓練を受けたケイティ・サレンがアカデミックな側面を強化し、ゲーム論に関する過去の重要な論文を集めた『The Game Design Reader : A Rules of Play Anthology』 (2005年)を副読本として編さんする作業もセットにして行われている。教科書的な理論書と副読本を同時に世に出すことによって、総括的で体系的な教材を実現している。そうすることで、定番の教科書として認知され、古典的、歴史書的な著作としてロングセラーになっていく。MIT Press は、意識してそういう本を作ろうとしている出版社でもあるという。

こうした出版戦略が日本は弱く、ヨーロッパも弱い。そのために、ヨーロッパのゲーム教育現場でも、アメリカの教科書を使うようになりつつあると言う。こうしたことは,過去、多くの科学分野で繰り返されたことでもある。

しかしヨーロッパには、アメリカのゲーム教科書が中心になっていくことに対抗する流れがある。どのような戦略で教科書を出していくのか、大きな問題になってくるだろう。「日本にも同じことが言える」と山根氏は語る。

インターンシップで単位を取る時代に

山根氏は「アメリカの大学と企業とのつながりは、インターンシップで単位を認める時代に移っている」と言う。インターンシップで企業に行って、学生が自分で研究テーマを見つけてくることが求められるようになっている。また、アメリカのインターンシップは指定校制度になっており、たとえばEA がインターンシップを受け入れる大学は決まっている。そのため、そうした学位プログラムに進学していないと、就職は難しいという仕組みになっている。

欧米企業は、積極的に若手を採用することを求めている。若者は、賃金が安く、怖がることを知らないので新しいチャレンジができる。これまでの成功体験に執着しない、失うもののない、優秀な新人を戦略的に採用している。

一方で、ベテラン開発者は難しい立場に立たされている。これまでのツールを捨てて、新しいやり方に適応できるかわからないうえ、社内で教育できるかどうかも不透明だ。自分を積極的に変えられる人材だけが生き残る状況になっている。そのため、賃金の高いベテランよりも、新しい人材を採用して、新しいツールに適応させた方が企業としては有利だという考え方が広がりつつある。ただし、その考え方の一般化は、人材の使い捨てという状況を生むため、組織をどのように活性化させるのかが、今の大きな課題になってきている。

「今後、企業間を越えて交流できるような地域ネットワークを作ることの重要性は増してくる」と山根氏は予測する。「IGDA(国際ゲーム開発者協会)のような草の根のネットワーク、人と人とを結んだり、再挑戦を可能にしたりするネットワークの重要性が、一段と高くなってくる。地域全体としてのクラスターの強さが重要になる時代に変わってきている」そうだ。

日本でゲーム教育が広がるための障害

「日本でも,理系離れが叫ばれているが、アメリカの実験をそのまま真似るだけでは効果が薄い」と山根氏は言う。
たとえば2010年には、MIT(マサチューセッツ工科大学)からUSCに、ゲームなどのメディア論研究者として著名なヘンリー・ジェンキンス教授が移籍している。それによって、大学の人気ランキングが変わるということが実際に起こっている。今年、USCは、USA Todayが昨年から掲載をはじめたゲームデザイン課程をもつ大学ランキングで、2年連続1位の評価を得た。実際、アメリカの新しいインディペンデントゲーム分野でブームを牽引する新しい人材を輩出するなど、すでに協力企業との結びつきを越えた社会的な成果が出てきている。その一方で、MITは惜しくもランキングを落としている。こうした現象は、大学のブランド名によるランキングが固定している日本の大学では起こらない。

また、日本の大学の多くでは1人の先生に1つのコマを与えて、講義を進めていく方式を採っている。そのため、週に一度講義があって、続きは1週間後といった形が一般的になっている。ゲーム開発を学ぶには向いていない制度だ。また、研究は3、4年生になってから行わせるという考え方が一般的だが、実際には就職活動が3年生から始まってしまうために、濃密なゲーム開発を経験することができない。

山根氏は「本来であれば、ゲーム開発の経験を得るには、集中的なスケジュールによる展開が必要」と指摘する。毎週行うのではなく、連続して集中で行うような形の方が向いている。

それぞれの講義のコマの壁を越えられないのも問題である。アメリカの大学で展開されているような、教員や学科、学部、大学などの組織の壁を越えた講義を展開することができない。なぜ、組織の壁を越える必要があるかというと、ゲームは学際的な総合科学なので、1つの学科や学部、大学だけで教えることができるという考えでは、無理が出てくるからだ。いろいろな大学をまたいでゲーム教育を行う体制が必要だが、「日本では、すべての講義を自分の大学のなかで完結させたがる傾向が障害になってきた。しかし学校間の単位互換制度や企業実習などで学校の壁を越えた新たな学びの試みも始まっており、アメリカの実験を日本の現状に合わせて取り入れることは不可能ではない」と山根氏は指摘する。

1月末にIGDA主催で「Global Game Jam(GGJ)」という、全世界のゲーム開発者や学生が、同時に48 時間でゲームを開発するイベントが開催された。このイベントには全世界約170カ所、6,500人の参加者が集い、1,500本ものゲームが作られた。山根氏は、その参加チームのなかに、MIT とバークリー音楽院という、まったく異質な分野の学生が組んだ混成チームがあり、毎年自由な発想で競っていることに感心していると言う。

2011年1月に開催されたGGJに参加した、東京工科大学のようす

日本の産学を地域クラスターに束ねて考える必要性

「ゲーム教育を育てるには、アメリカの教育拠点のように、様々な専門分野をもつ複数の大学や専門学校,企業内の人材育成を1つのクラスターとして考えて、全体の設計をしていくことが有効」と山根氏は指摘する。

たとえば、EAの場合はUSC 以外にも、同社のドル箱タイトル「Madden NFL」シリーズの開発スタジオがあるフロリダ州で、セントラルフロリダ大学(UCF)を中心に、新しいカリキュラムを作る試みを援助している。これはフロリダ地域というクラスター全体に投資しているのだという。また、大学としても、この試みは理にかなっている。個々の大学が、プログラム、グラフィックス、サウンド、それぞれについてのコースを新設するのではなく、それまで継続してきた強みを生かして提携することで十分に教育効果を生み出せるはずだと言うのだ。

しかし、それぞれの大学で、共同でカリキュラムを開発しようという話に日本では発展しない。前編で紹介した、2002年のIGDA Academic Summitが重要な役割を担ったように、「日本でも同じようにカリキュラムをもちより、議論し合うような場を作る必要があるでしょう」と山根氏は言う。そして、「日本でもアメリカで行われているような、ゲームのマルチスクールカリキュラムを開発していく必要がある」と提言する。

山根氏が世話人を務めるIGDA日本のSIG Academic(アカデミック専門部会)は、「短期的なワークショップを提供することで、濃密で没頭できるゲーム開発の経験を積めるような機会を提供していきたい」と考えている。GGJはその顕著な例でもある。

GGJを通じて、自分とは違う学科に所属する人と組んで開発を行い、海外のチームの人たちと発想を競う。これによって日本の大学の制度的な制約を迂回することができ、成果物を通じて海外と相対的に比較して、自分たちの実力を理解することもできる。日本でも、2011年のGGJでは、東京(東京工科大学)、福岡(九州大学)、札幌(北海道大学)の3場で、約170もの参加者を集めた。社会人や他大学の学生が入り交じった混成チームが各地で作られ、ゲームを開発した。これまでと違ったゲーム教育の可能性が見いだせたという意味で、この動きの意義は大きいと言う。

山根氏は、ゲーム教育がたった10数年間で発達した制度にすぎないことを強調しながら、「欧米で行われた実験の成果を世界各地で共有するときが来た」と述べる。

日本では、アメリカで起きているゲーム教育の変化はあまり正確に伝わってこなかった。しかし人材教育の差が、顕著に競争力の差として現れつつあることを、我々は意識する必要がある。結局、人を育てることができない産業は、中長期的に必ず衰退していく。高等教育機関のゲーム研究・教育という地力の面で、日本が後れを取っている現実を意識したうえで、日本の実情に合った教育制度の開発を始めるべきだろう。