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本連載では、先進的な取り組みをしている教育の現場にお伺いし、どのような人材を育てるべく、どんな観点で何を教育されているのかについてご紹介します。今回は、OpenGLの教材を18年間アップデートし続けて、業界を志す全ての人に無償でご提供されてきた、和歌山大学 システム工学部 メディアデザインメジャー 床井浩平准教授にオンラインでお話を伺い、ご経歴、ご研究、教材公開の経緯、目指される人材育成などについて語っていただきました。

学生時代、東洋現像所での出会いと貴重な経験

どんな経緯でCGの世界に進まれたか、また学生時代にはどんな研究をされていましたか? 

私のルーツは工業高専にあります。工業高専では、私自身はコンピュータのディスプレイには縁がありませんでしたが、画像処理はしていたんです。つまり、当時コンピュータークラブで、プリンターで文字を重ね打ちして、印字に濃淡をつけて絵を描くなんてことをしていました。
高専を卒業した後は豊橋技術科学大学に編入し、画像処理とCGの研究をしている研究室に入りました。豊橋技術科学大学では4年生の3学期に実務訓練(インターンシップ)がありまして、私は先輩も実務訓練に行っていた東洋現像所(現:株式会社IMAGICA)にお世話になり、CG部門の小高金次さんの元で勉強させてもらいました。
1984年にはSIGGRAPH(米国)にまで連れて行ってもらい、公開前のPixarの『アンドレとウォーリーB.の冒険』を観たりして、すごく感動しましたね。その時は未完成の状態だったので最後の方はワイヤーフレームだったんですよ。それから当時まだルーカスフィルムの中にあったピクサーアニメーションスタジオの見学もさせてもらいました。今振り返ると、学生時代にSIGGRAPH に参加できたことは、私にとってものすごく貴重な経験だったなと思います。
そして、東洋現像所での経験のなかで、記憶にある出来事として、デザイナーとエンジニアがよく白熱した議論を繰り広げていたことがあります。お互いの言葉や見てる世界が違うので、一緒に物を作るためには必要なことと分かってはいましたが、それにしても、もっと効率よく意思疎通できないものかと思いましたね。両者の考えが理解できて、かつマネジメントもできる人材が現場に必要なんだろうなと、そのとき強く感じましたのを覚えています。

ご卒業後の進路について教えてください。

東洋現像所からお誘いいただいていたのもあり、大学院卒業後は同社に就職してCGの仕事がしたいと思っていましたが、諸般の理由から東京に行けなくなってしまい、和歌山大学の経済学部に就職することになりました。そこから10年間経済学部にいて、CGの世界とは完全に縁が切れてしまっていたんです。ところが、関西で開催された学会でCGに関する研究発表をしたところ、当時大阪府立大学にいらっしゃった長江貞彦先生が私の発表を聞かれていて、CG-ARTSがCGの検定試験を始めるということで声をかけてもらい、委員会に参加することになったんです。西田友是先生ともこの時お会いしましたね。このことがCGの世界と再び繋がる一つのきっかけになりました。

 

経済学部での10年間、再びCGの世界へ

経済学部でのご経験を教えてください。

経済学部にいた当時、ほとんどがコンピュータ教育という名目で、システムの導入やメンテナンスの仕事をしていました。CGの授業も一回やろうとしましたが、ニーズがないということで、一年で辞めてしまいましたね…。
でも色々な挑戦もしました。当時主流だったPC-9801をいうコンピュータを経済学部にも導入しようという話になった際、従来のフロッピーディスクでの運用では夢がないので、PC-9801ではなく、NEWSというSONYから出た最新のコンピュータを代わりに導入して、ディスクレスワークステーションで構成してはどうかと思いました。実際に計算してみたらPC-9801を導入するのと同じコストで導入できそうだったので、思い切って全部そうしちゃいました。
そうそう、日本で一番最初にインターネットにつながった文系大学は和歌山大学だったんですよ。当時NTTのWebサイトに「Webサーバーを立ち上げている機関のMAP」があり、そこに和歌山大学が載っていたので判明しまして、そのお陰で、文部科学省から助成金をいただけたので、Webサーバーに何か継続的にコンテンツを上げようと思い、当時流行っていた食べ物ネタに乗じて、私も片手間ながら自分の和歌山ラーメンの記憶地図を書いてたんです。当時まだインターネットのコンテンツが少なかったので、「和歌山」と調べると私の書いた「和歌山ラーメン」のWebページが検索上位に出てきました。その結果、和歌山ラーメンの知名度が上がり、ご当地ラーメンとして認識されるようになっていったんです(笑)。新横浜ラーメン博物館からメールをいただいたり、王様のブランチに出演したり、山手線でのプロモーションに関わったり、結構話題になったんですよ。

【資料】「和歌山ラーメンという物語」
https://tokoik.github.io/ramen.pdf
https://ci.nii.ac.jp/naid/40019174622(書誌データ元)

 

経済学部からシステム工学部へ移られたきっかけは?

そもそも私が経済学部にいた頃、和歌山大学には経済学部と教育学部しかなく、私自身ずっと経済学部にいるつもりでした。しかし、和歌山の地場産業に関連して、バイオや環境系の理工系学部を新しく作ろうという構想がずっとあって、満を持して同僚が学部新設のため文部科学省に承認を取りに行ったんですが、帰ってきたら、文科省側から”デザインと情報を組み合わせた学科”の新設を提案された!という報告が。そこから、今の「システム工学部」が新設されました。
私は、東洋研究所での経験からさきほどお話したように、デザイナーとエンジニアの意思疎通の悪さ、互いの言葉を知る大切さを実感していましたから、“デザインと情報が両方分かる人材を育成する“というのは自分の使命ではないか!と強く感じ、システム工学部に自ら異動を志願しました。
※システム工学部の設立は1995年。学生受け入れは1996年から。床井先生が所属したデザイン情報学科は1997年に開設されました。

 

こうして床井先生の教材公開は始まった!

システム工学部でのご経験を教えてください。

システム工学部へ移籍した当初は人員不足でしたので、学生募集パンフレットも私が自分で作りましたし、システムの環境構築もすべて自分でやらなくてはならなかったんです。このときに新設されたコンピュータ演習室では、シリコングラフィックスのIndyを導入しました。なぜかって、あれカメラ付いてたでしょ。当時キーボードとマウスとかそういうのもっと先に行きたかったんです。
そしてIndyを使ったプログラミングの授業として、OpenGLの演習を行うことになりました。
でも授業評価アンケートでは「難しい、分からない」とボロクソで…。C言語を何とか勉強した人に、グラフィックスとかCGを教えずに、いきなりOpenGLを使わせるということだったので、私としてもいろいろ反省がありました。それで毎年講義資料を書いては直し、書いては直し…。そういう経緯もあり、更新しやすいようにWebページに講義資料を公開してました。私は学生さん向けに講義資料を作っているつもりでしたが、だんだん外部からのアクセスが増えてきて…(笑)資料の公開を始めた当初は、ファイアウォールなんて無い牧歌的な時代だったので全部公開にしてるんですけど、今の時代から始めてたら違ってたかも。でも外部から意見をもらえるようになって、これは外から見られても恥ずかしくない資料を作らなければと思うようになりました。ちなみに、18年間ずっと情報更新続けましたが、授業アンケートでは一度もいい評価をもらえず…。どうもそれが、学生さんはアンケートには要望を書くものだと考えているようで…。でも学生さんに磨かれたおかげで、外部からは分かりやすいと高評価。私としては非常に微妙な気分です(笑)。ところが面白いのは、ある学生さんが「この資料は難しいから、OpenGLに詳しい友達にアドバイスもらったんだけど、教えてもらったのはこの資料だった」と言っていたことがありました(笑)ググっても、結局私の資料に戻ってくるとよく言われます。嬉しい話でもありますけどね。逆に、ググって見つけてきたよく分からないコードを埋め込まれることも。そうすると私は見ず知らずのコードをデバッグする羽目になるんです。それはさすがに辛い…。だったら、最初からそういう資料になるものを自分で書こうと思いましたね。

公開されてる資料の中で一番反響があったものは?

やっぱりBlenderの資料です!でもこれ、学校に怒られちゃったんですよ(汗)Blenderの資料は1月末に公開してバズりましたが、その時アクセスが集中して、大学の教員用のWebサーバーが落ちちゃったんです!大学入学共通テストの後で、大学のサーバーが見れないのは死活問題ですから…。 Blenderの資料は、これは書かなきゃ!ってことを後からどんどん追加して、来る日も来る日もスクリーンショットを貼り...最終的には1400ページもの量に。3カ月弱くらいで今の形になりました。

【資料】床井先生の研究室Webサイト「床井研究室」
https://marina.sys.wakayama-u.ac.jp/~tokoi/

 

リサーチベースの思考ができる「デザイナー×エンジニア」で業界の壁をなくしたい!

先生の目指されている人材育成について。どんな人材を育てたいと思っているか。

デザイナーとエンジニアの両方が使っている言語を理解できて、リサーチベースの思考ができる人材を育成することを目標にしています。
例えば、キャラクターを描く際、いきなり目から描きはじめてしまう学生さんがいますが、まずは「なぜこの絵を描かなきゃいけないのか」「だれが見るのか」というレベルまで掘り下げてから、段取りや構図などのプロセスを考えることが重要だと考えています。自分が好きなものをただ作るんじゃなくて、なぜそのデザインをしなきゃいけないのかという根拠を集められる、リサーチベースのデザインができるひとを育成する学科にしたかった。でもこれがわかってもらえないんですよ!いろいろなひとから、そういう人材が必要だと聞いていましたが、いざ就活になると、特に大手ではデザイナーはデザイナー、エンジニアはエンジニアの採用。両方できるというのは穴だらけに見えてしまう部分もありますので、どちらかに否定されてしまうのが現状です。最近のプロダクションでは、近年ようやくTD(テクニカルディレクタ)やTA(テクニカルアーティスト)という職種での募集が増えましたので、希望が出てきています。

卒業生の就職後の課題があれば教えてください。

学生さんには、「自分で問題を分析して企画を立てる」教育をしているので、必要なツールなどは自分で調べて勉強できる方が多いです。いろいろな人が関わってひとつのモノを作る現場において、一番求められている人材像だとは思いますが、その一方で、他の新人はできない仕事は「できない」と言うのに、うちの卒業生は知らないことも自分で勉強してなんとか形にできてしまうため、会社で「なんでも屋」になってしまい苦労したという方もいました。
ある学生さんは、卒業後、デザイン会社に「プランナー」として就職しました。ところが、周りはIllustratorなどのデジタルツールが使えないデザイナーが多かったので、デザインをデジタル化する仕事を彼女が請け負い始めたんです。加えて、私のところの授業では成果物よりもプレゼンを重視していて、特に彼女はプレゼンが上手だったので、どんどん営業まで任されるように…。それで彼女は転職することを決意し、卒業研究でやっていたUnityを使った作品をポートフォリオに入れて一発採用。現在はUIデザイナーとして活躍されてます。苦労される方がいる一方で評価される方もいて、学生さんのキャリアにとって何が幸せなことか?というのは、また別問題なんだなと思いました。

 

「人の体験って何だろう?」目標は体験をコピーして共有すること

現在進めている研究を教えてください。 産学連携について感じていらっしゃることがありましたら教えてください。

没入型ディスプレイ実験風景

個人的に本当にやりたいことは、「体験をコピーする」ことなんです。 こちらは、シリコングラフィックス(SGI)に合計6台のプロジェクターを繋いで、それぞれ3台ずつ没入型ディスプレイにして互いに殴り合うというものです。この時はVRとか意識してなかったんですがね。離れた場所にいる人をすぐそこにいるように感じる、そこにその人がいて自分がその人と関わっているという感覚をどうやって伝送するかという研究でした。ちなみにこの研究を始めたのはシステム工学部に移ってすぐの1995年頃です。その後、オキュラスを使って遠隔地の体験を共有する研究を始めてみたりしました。そして…遠隔地が”とっても遠隔地”になっちゃって、ついに「月」になったんですね~。

【資料】遠隔地の視覚的環境を観測者の周囲に再現する実験システムの開発と UZUME 計画への応用
https://tokoik.github.io/uzume.pdf
※月の縦孔の説明につきましては、UZUMEプロジェクトWebページをご参照ください。

こちらは、2019年の日本ロボット学会学術講演会オープンフォーラムで講演した際の資料です。
月で理学調査がしたい場合、宇宙飛行士を連れてくのはコストが高すぎるし、研究者の多くは宇宙飛行士になれるような体力なんてありません(笑)でも月の理学研究がしたい!という時に、どうすれば月に行ったように研究ができるかな?というので、遠隔地の「体験をコピーする」研究をはじめました。
ただ、この研究は荒唐無稽だと評価されてしまいましたが、私の興味のポイントは「人の体験って何だろう?」ということにあります。自分がそこにいる、友達が隣にいる、月の石や穴がそこにあるというプレゼンスを、どうすれば体験だけではなく他者と共有できるのか、それが工学と言えるのかってことも含めて、ずっと考えてます。たとえば魚眼画像とか全天球画像を展開して送るだとか、それをHMDで見るだとか、それで環境情報や光源情報取るだとかの個別要素の問題はありますけど、目標としては、そういうのを組み合わせて体験をコピーして共有することです。

 

大切なのは「ツールが使える」だけじゃない!その向こう側にある仕組みを理解すること

CG-ARTSの教育について感じていらっしゃることなどありましたら教えてください。

和歌山大学では、CG-ARTS検定の合格で単位認定される自主演習を実施されています

CG-ARTSの教材は、専門領域への「入り口」が非常によく示されていると感じております。1人の先生が執筆された教科書だと、どうしてもその先生のストーリで内容が収まってしまいますが、CG-ARTSの教科書は、企画を立てるところから全てを議論しますよね。複数名の執筆者が集まって、シナリオや章立てはこうしようって…。その時に、教科書ですからそんなに難しいことはできない、でも書いてる先生はその領域の専門家ですから、自分の専門領域への導線をそれぞれきちんと設計して書かなくてはならなくなる!と思うんですよね。なので「専門領域への入り口がしっかり示されている・分析がされてる」点で優れた教材だと思います。一方で、誰かが手取り足取り教えてくれるわけじゃないので、努力しない人には難しい教科書だとも思います。CG-ARTSの検定試験も含めて、そういうコンセプトだということを分かってもらうことが大切かと思います。
検定試験の場合、たとえばCGの現場では「CGを作れること」が求められるスキルなので、その点で検定試験がどこまで有用かというのは疑問で、批判的な方もいらっしゃいますよね。しかし私は、ツールが使えることはもちろん必要だと思いますが、その向こう側にあるものもきちんと理解できないと、単にツールが使えるだけで終わってしまうと思うんです。東洋研究所でお世話になった小高さんが、後に「ツールの使い方なんて3カ月もあれば覚えられるよ。そうではなくて、ちゃんと何かを作れるというのが一番大事。」とおっしゃっていました。そのためには色々なバックグランドがいるわけです。ツールが使えてどうこうというのは、検定試験の仕組み上難しいけれど、その知識を以ってツールが使えればものすごく強力な人材になるというのを、きちんと説明していただければと思っています。現場の問題、日本のCG業界の問題、ニーズなどの背景の説明があって、ストーリーが組まれていて、その中で、今検定試験がどういう位置づけにあるのか分かればいいなと思いますね。

 

表現としてのプログラミングで「体験をつくる」を創れる世界へ

今後の先生ご自身のまたはこの業界や教育の発展についてお考えをお聞かせください。

演習の様子

グラフィックスエンジニアを志す人たちはやっぱり仕事を見つけるのが大変で、就職先としてSEを選んでしまうことが多いです。未だにグラフィックスエンジニアやグラフィックスプログラマの立場が確立していないので、表現としてのエンジニアリングや、表現としてのプログラミングを、一つの業態としてもう少し強化されてもいいのかなと思う部分があります。少数の有名な方いらっしゃいますけど、それで食べていくのは宝くじを当てるようなもの。スマホに繋がったスニーカーが「トレたま」で紹介された卒業生もいましたけど…。とにかく、新しいそういう働き方ですよね。もしかしたら製造物とかサービスとは違うところで、表現というものを何とかしてお金に変えていくうまい仕組みがないかなと思います。もちろんパイプライン構築でもいいですけどね。でもそれができる人はもっといいお給料でSE会社いけてしまう。夢もあるし、好きな仕事だと思うし、私自身もいつか戻りたいとずっと思い続けた場所ではあるのですが、表現のためのプログラミングで「体験をつくる」を作ることに対して、もうすこし世界が広がればいいかなと思います。

これまで1200名もの卒業生を世の中に送り出してきた床井先生。先生の教材をWebで見て学んだ方を含めると、その数は計り知れません。これからも、“デザインと情報の両方が分かる人材を育成する“ための学びをご提供し続けてくださることを願っております。 取材にご協力いただき、本当にありがとうございました。

■床井先生の研究室Webサイト「床井研究室」
https://marina.sys.wakayama-u.ac.jp/~tokoi/

■公開教材の一部ご紹介
OpenGL 関係記事一覧 https://marina.sys.wakayama-u.ac.jp/~tokoi/oglarticles.html
Blender教材「CG制作演習資料 (PDF)」https://web.wakayama-u.ac.jp/~tokoi/cgpe2020.html

■床井先生Twitter
https://twitter.com/tokoik

■和歌山大学HP
https://www.wakayama-u.ac.jp/

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 『アンドレとウォーリーB.の冒険』(原題『The Adventures of André and Wally B.』)
監督:アルビー・レイ・スミス
制作会社:ルーカスフィルム
公開:1984年12月18日

インタビュー:
 CG-ARTS 篠原たかこ
テキスト・写真:
 CG-ARTS 宮内舞