2012/01/25更新

取材・編集協力/CGWORLD.jp リポーター/宮田悠輔 写真/弘田充

CG業界で活躍するクリエイターのキャリアから、CG学習のヒントや現場の生の声を届けていく本連載。第5回を迎える今回は、建築系の営業職からCG業界へ転職したという異色の経歴をもち、現在は株式会社デジタル・フロンティア(※以下DF)にてシニアデザイナーを務める元生晃司さんのキャリア遍歴をご紹介していこう。

営業マンから転職し、CGデザイナーを目指すことを決意

“クラスに必ず一人はいる、絵の好きな子”と元生さんはご自身の子供時代を振り返る。当時は『AKIRA』(1988)などの影響を受けており、夏休みの宿題では、情報量で勝負する緻密な仕上がりの絵画を提出したそうだ。そんな元生さんだったが、大学進学という分岐点を迎えた時、美大への進学を希望するかどうかで非常に葛藤したという。

「美大を卒業しても画家としてやっていける人は数少ないですし、何よりそっちの世界は当時の自分にとってどこか浮世離れしたような印象がありました。それは自分の進む道とは違うなと思い、最終的に文系の一般四大(京都産業大学)へ進学しました」

ちょうどバブル崩壊後の不穏な空気が社会全体に満ちていた時期であり、企業が採用に消極的になる、就職氷河期とよばれる時代に突入したことも、進路決定の背景に少なからず関係していたのかもしれない。そんな中で元生さんは就職氷河期を勝ち抜き、住建材では大手といえる新日軽株式会社(※ 現・株式会社LIXIL)に営業として就職した。

「当時、会社を選ぶ際に基準として考えたのが、自社で生産した製品を販売していることでした。また、時間が経っても色褪せることのないものに携わりたいという願望もあったので、建築のアルミというマテリアルを扱っている新日軽に就職しました」

緻密な絵を描くことが好きだった元生さんが営業職を選んだことは、一見関連がないように思える。しかし、自社でプロダクトを生産・販売するという、企業のクリエイティブな側面に惹かれていったと考えれば納得できるだろう。こうして元生さんは営業マンとして着実にキャリアを重ねていったわけだが、就職して4年目に大きな転機を迎えた。

「4年もすると業界全体のことや、自分の実力も含めた将来のことなんかが大体見えてきます。そこまで仕事ができるというわけではありませんでしたが、将来に関して僕はそんなに不満をもっていなかったですし、営業マンとしてやっていくと腹を括ったつもりでいました」

しかし、そこへパソコンブームの波がやってきた。元々はインターネットやE-mailがしたいという、オーソドックスな理由でノートPCを購入した元生さんだったが、それが大きな転機を作るきっかけとなったようだ。

「タッチパネル対応のVAIOを購入してPhotoshopで遊んでいたのですが、グラフィックを作る楽しさと、これを使いこなせたら色んなことができるかもしれないという可能性を見い出してしまったんです。それからは気持ちが一気に傾いていきましたね」

絵を描くことが好きだった元生さんの気持ちに、再びクリエイティブの火がともった瞬間であったのだろう。だが、もっとPCでグラフィック制作を行いたいという思いとは裏腹に、仕事の忙しさは増していき、勉強したくてもできないストレスが元生さんの中で溜まっていった。また当時、元生さんは結婚したばかりで、自分の思いだけで仕事を辞めるわけにはいかない状況だった。しかし最終的に、元生さんは退職を決断することとなった。

「妻に正直に『辞めたい』と打ち明けたら、『いいんじゃない』と快諾してくれて、そこで辞職を決意しました。ただ上司からは『お前が寿退社してどうすんだ』といわれましたけど(笑)」

今でこそユーモアを交え笑いながら当時のことを振り返る元生さんだが、それまで順調に重ねてきた営業マンとしてのキャリアと収入を捨て、他の業種に飛び込むにはそれなりの覚悟が必要だったはずだ。さらに支えなければならない家族のことを考えれば、相当な決意だったのではないだろうか。こうした気持ちの強さは、元生さんのその後の将来設計やモチベーションにも影響していった。



(C)2011 NAMCO BANDAI Games Inc.

元生さんがコンポジットに参加した『鉄拳 ブラッド・ベンジェンス』(2011)。デジタル・フロンティアの代表作の1つであり、日本発の長編S3DフルCG映画として世界公開された。


感情に左右されない客観性をもったベンチマーク

仕事を辞めた当時の元生さんは28歳で、再び新しい何かを学び始めるにはギリギリの年齢だと感じていたそうだ。そこで仕事を辞めた後の将来設計を立てるにあたり、いくつかの基準となる目標を定めたという。

「自分がCG業界でやっていけるかを判断するためのベンチマークにしたかったので、義理の両親に事の経緯を説明しに伺ったときに『1年間学校に通い、卒業後には即座に仕事に就くこと』と、『仕事に就いたら、3年目には前職を辞めた時と同等の年収を得られるようになること』を約束しました。また、次に就く仕事はCGではないかもしれません、という話もしましたね。何故かというと、学校に1年間通って自分がやっていけるかをしっかりと見極め、駄目なら諦めようと思っていたからです」

営業職へと戻るにしても、キャリアを無駄にするのは1年が限界だという思いがあった。CGへの情熱だけに左右されることなく、1年間で自分を客観的に判断する必要があると考えていたそうだ。こうした判断は、リスクマネジメントという点において重要な考え方である。自分が置かれた状況を冷静に見つめ、感情に左右されることなく最適な結論を導き出す方法は、元生さんが営業という前職で培った素養ともいえるだろう。

その後、2001年4月に元生さんはデジタルハリウッド(※以下デジハリ)の東京本校に入学したわけだが、3DCGの学校を選んだことにも1つの戦略があった。

「当時は、3DCGであればオペレーションができるだけで、ある程度の仕事に就ける可能性がありました。そんな打算的な思いもあり、3DCGの道に進みました」

ちなみにデジハリを見つけてきたのは奥様であり、そこには献身的サポートがあったようだ。デジハリ入学後、学生生活を始めた元生さんは、同期の学生との間に温度差を感じたという。

「入学後は周りのテンションの低さに拍子抜けしました。ただ、親に学費を出してもらっていたら、そうなるのも当然かなと思いました。自分の学生時代も似たようなものでしたから。義務教育の延長のような環境の中だと、緊張感がなくなるのかもしれません。また、学生の多くはプロの現場に入るための戦略を練らず、情熱だけでただがむしゃらに行動しているような印象を受けました。自分の得手不得手を冷静に分析している人が少なかったように思います」

情熱は大事だが、それによって判断を曇らせることがあってはいけない。繰り返しになるが、常に自分を客観的に見ることを重要視する元生さんの姿勢から学べることは多いのではないだろうか。