2011/04/20更新

取材・編集協力/CGWORLD.jp リポーター/宮田悠輔 写真/弘田充

企業にとっても学生にとっても厳しい時代である。デジタル・コンテンツの制作現場では、今どのような人材が求められているのか。また、志望する学生たちは業界で生きていく上で、何をどのように学んでいけば良いのだろうか。

今回からスタートする本連載では、現在各デジタル業界で活躍するクリエイターやエンジニアの方たちに、これまでに実践してきた学習法や教育現場へのメッセージを聞き、業界を目指し苦闘している学生たちと、彼らを支援する先生たちへ、1つの道標を提供できればと考えている。記念すべき第1回目は、2010年秋に「次世代に向けたVFX制作の理想像を追求する」という志の下、有志が集い誕生した、新進のVFX工房十十(ジット)のCGデザイナー、尹 剛志(ゆん たけし)さんにお話を伺った。

尹剛志さん

Jittoの制作エリア

安定した収入を捨て、CGの世界へ 〜相応の覚悟と危機感を抱いてのスタート〜

実は尹さん、学生時代からCG業界を目指していたわけではなかった。

「僕は高校卒業後、車の板金や溶接の仕事をしていたんです。暫くすると慣れてきて、月に40万ぐらい稼いでいました。20歳前後の若者にとってはかなりの収入ですよね。でも、このまま年を重ねていくのは嫌だなと感じました。それでアート寄りの仕事をしたいなと思い始めたのが、転機でしたね」

大きな影響を与えたのは、姉の存在。尹さんのお姉さんは、1990年代のWeb黎明期に、いち早く活動をはじめ制作会社を起ち上げていたのだ。

「姉に『それなら、Webデザイナーになればイイじゃん』みたいなことを言われて、じゃあ学校に入ってWebデザインの勉強でもしようかなと」

そこで尹さんは、日本電子専門学校に入学するのだが、ここでちょっとしたアクシデントが起きた。なんとWebデザインではなく、間違えてCG・映像制作の学科に入学してしまった。今でこそ、笑い話となっているが、ある意味運命のターニングポイントになったわけだ。

「もうほんと間違えちゃって(笑)。でもその頃、CGが世の中にどんどん出てきて、表現も新鮮だったので『新しいことを学んでみようかな』と、割とスムーズに気持ちを切り替えられましたね」

現在の尹さんを考えれば、それはとても幸せな間違いだったのだろう。

一般的に、満足いく収入を得ている人間がそれを捨ててまで、別の道に進み直すというのは大きな勇気が求められる。また、尹さんが学生だった時代も、1997年のアジア通貨危機に端を発した就職氷河期であり、そうした中で安定した収入源を捨てるのは相当な覚悟が必要だったはずだ。少々手厳しく感じるかも知れないが、こうした覚悟をもって学び始めた人と、義務教育気分からなかなか脱しきれない人とでは、自ずとその後の成長も変わってくる。

「自分が入った専門学校でも、高校の延長で来た人たちと、大学に通いながら、あるいは社会人を経験している人たちとでは、もうスタート時の姿勢から違いましたね。そういう人たちは自分も含めて本当に必死でしたから」

誤解のないように補足するが、大切なのは社会人経験があることではない。自分が置かれている状況をしっかりと把握し、そのリスクを自覚しつつゴールを目指して貪欲に邁進すること、いわば“意識の高さ”がその後の成長に大きく影響するわけだ。

学びのスタイル 〜音を映像化する〜

1990年代前半から中頃は、それまでサブカルチャー的な立ち位置で活動していた映像作家が、メインカルチャーへと台頭してきた時代でもあった。Underworldのデザインワークを担うTOMATOが活躍し、今や映画監督として知られるミシェル・ゴンドリーがビョークMV“Army Of Me”(1995)やダフト・パンクMV“Around The World”(1997)で世界中にセンセーションを起こしていた。当時、学生だった尹さんも、この流れの影響を受けた1人であることを自負している。

「ちょうど日本でTOMATOの個展をやっていて、それを見に行ったんですね。その時、純粋に“凄い!”と圧倒されたし、“こういうことでメシを喰っていけるんだ”とも思いました」

TOMATO「タイトルバックのデモリール」

ビョーク“Army of Me”

ダフト・パンク“Around The World”

そんな尹さんは、映像作家たちの影響を受けた当時から現在に至るまで、ある音楽に対してどんな映像が合うか考えることをライフワークにしているそうだ。

「5秒とか短い尺でかまわないので、その5秒の音楽に対してどんな映像が合うかっていうのを凄く真剣に考えますね。実際に映像を作るとなると時間がかかってしまうので、思い浮かべたイメージをネタ帳とかに殴り描きしている程度なんですが、おかげでアイディアのストックは凄く溜まってますよ」

音のような無形の存在を視覚化することは、映像クリエイターに求められる能力と言える。尹さんは実に自然な流れで、必要な素養を習得していったと言えそうだ。

また、こうしたスケッチの延長として、尹さんは学生時代から3DCG制作とは別にAdobe After EffectsやAdobe Photoshopなどを使い、○や△などシンプルな形状をレイアウトし、アニメーションさせていくという、2Dモーショングラフィックス作品も多く創作してきたという。

「人様にお見せするようなものではない、物凄いシンプルなものですよ(苦笑)。ただ、この作業を習慣づけてきたことが、現在の自分の映像スタイルの核になっているのは確かです。今はやってきて良かったなと思いますね」

専門学校時代は、勉強の傍らVJ(Video Jockey)の活動もしており、最初のうちは2Dで多くの作品を生み出していたそうだ。

「VJ素材はほぼ2Dで作っていました。当時は、DEVICEGIRLS(※その主要メンバーは、2008年に株式会社LAPTHODを設立し、現在も活動中)という、凄くセンスの良いモーショングラフィックスを作る人たちが活躍していましたね。その一方で、こうした表現に3DCGが使われることはまだ少なかったので、逆に今のうちから始めれば大きな武器になるんじゃないかと思いました。そこで、あるクリップを3DCGで作ったところ、見てくれた人から『どうやったの?』とか『こういうの面白いね』と言われたんです。それから学校で教えてくれる3DCGの全般的な知識とは別に、自分独自のCG表現として、3DCGベースの抽象的なモーショングラフィックスを模索し始めるようになりました」

大量に配置されたシンプルな形状が、複雑に絡み合い独特の浮遊感をもって美しく動き出す。そうした尹さんの作風の原点は、学生時代の努力によって生まれたものであった。

左は、月刊CGWORLD(2009年9月号)の表紙グラフィックスとして制作された『構築の方向』。右は、本作に用いられた手描き素材。学生時代からのライフワークである"シンプルな形状のコンポジション"という尹さん独自の表現方式がよく現れている。