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2013/04/01更新

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今年で第5回目となるゲーム開発系イベント「GlobalGameJam(GGJ) 2013」が、2013年1月25日から27日まで、世界319会場で開催されました。日本からも17会場が参加し、合計3,248本のゲームがつくられました。実際にどのようにGGJが開催され、どんな人が参加されているのか、その様子をリポートしました。


2006年にデンマークで始まったGGJの急速な成長

GGJは経歴もスキルも雑多なゲーム開発者が、会場で即席チームを結成し、48時間で同じテーマのもとにゲームをつくり上げる、世界規模のイベントです。完成したゲームはウェブにアップロードされ、自由にプレイできます。ゲームづくりのノウハウは暗黙知になりがちですが、GGJではプロや学生、時には教育者が一緒になって、短時間でゲームを制作します。そのため集団による学びや、ノウハウの効率的な伝授が期待できます。

IT業界ではソフトウェア関連プロジェクトのイベントとして「ハッカソン」が知られています。これのゲーム版と捉えればわかりやすいでしょう。

GameJamは2000年代半ばから海外で草の根的に始まり、今では世界中でさまざまな規模のGameJamが開催されています。GGJはその最大級のイベントで、2012年度には世界で最も参加者を集めたGameJamとして、ギネスブックに認定されました。GGJ2013では規模がさらに拡大し、記録が更新されています。

GGJは2006年にデンマークで始まったNordicGameJamを母体とし、2009年から国際ゲーム開発者協会(IGDA)の教育専門部会の主催でスタートしました。そのため当初からコンテストではなく、人材教育が主眼におかれています。IGDAの教育専門部会で世話人を務めていたスーザン・ゴールド氏と、NordicGameJamの中心人物だったゴラム・ライ氏が中心となって誕生し、わずか数年で急速に成長しました。

一方、GameJamのような開発手法は大手ゲーム会社でも注目を集め、プロトタイプ制作や社内研修などの活用事例が増えています。2012年には日本最大のコンピュータエンタテインメント開発者向け会議、CEDECで開催されるCEDEC AWARDSで、ゴールド氏が「ゲーム開発者の裾野をグローバルかつボーダーレスに広げる活動」という名目により、プログラミング・開発環境部門のノミネートを受けました。このように日本でもプロのゲーム開発現場で高く評価されています。

過去5年間のGGJの拡大を振り返ると、アジア・中南米・アフリカなどの発展途上国で参加会場が増加しています。これらの地域は長くゲーム産業とは無縁でしたが、デジタル配信の普及やゲームエンジンの進化、海外分業の推進などで、急速にゲーム開発の注目が高まっています。決定打となったのが、フィンランドのRovio Entertainmentが2009年にリリースし、累計12億ダウンロードを記録したとされる「アングリーバード」でした。この成功に続けとばかり、ゲーム開発がヒートアップ。GGJ参加の追い風となっています。

GGJ2013では新たに12カ国(ボリビア、チリ、エジプト、ギリシャ、ハンガリー、インド、ラトビア、マケドニア、モロッコ、ナイジェリア、セルビア、チュニジア)で会場が発足しました。またブラジルで23会場がエントリーし、世界第二位のGGJ参加国となった点もポイントでしょう。

一方、初年度はわずか1会場だった日本でも、徐々に参加者数が増加。GGJ2013では世界第二位の会場数となりました。参加地域も北海道から沖縄まで全国にわたり、全489名が参加。とくに地方での会場増加には目をみはるものがあります。


会場ごとに個性あふれる運営が可能なGGJの魅力

前述の通りGGJはIGDAの教育専門部会によって始まりましたが、急速に成長した結果、今年度から新たに米GlobalGameJam社に主催が移管しました。

一方でIGDAの各支部でも積極的に開催支援を行っており、なかには支部単位で会場参加する例もあるほどです。国内でもIGDA福岡の世話人を務める九州大学の金子晃介氏が、リージョナルコーディネーターとして取りまとめを行っており、IGDA日本・東北・関西の各支部も運営協力を行っています。

また、全世界で同じテーマのゲームが作成されるルールも健在です。GGJ2011までは「EXTINCTION(絶滅、終息、消化)」などキーワードで示されましたが、GGJ2012ではイラスト(ウロボロスの絵)で提示。今年はついに「心臓の鼓動音」と、サウンドデータで提示されました。これには各会場で頭をひねるチームが続出。ホラーゲームやリズムゲーム、はたまた恋愛をモチーフにしたゲームも見られました。

なお、テーマに加えて「実績」とよばれる努力目標も設定されます。実績をクリアしたチームは完成したゲームをアップロードする際に、自己申告で設定できます。この実績はタグ的な扱いとなり、実績を数多くクリアしたゲームほど、後から検索されやすくなる仕組みです。

会場ごとに詳細は異なりますが、ほとんどの場合、初日の夕方に開発がスタートし、三日目の夕方に終了します。開会式は主催者から送られるビデオキーノートを視聴するところからスタート。そこからテーマ発表があり、チーム分けが行われて、いよいよ開発が始まります。ただし時差の関係からニュージーランド会場を皮切りに、オーストラリア、日本、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、そしてハワイと続いていきます。

GGJ2013キーノート

GGJ2013テーマ

八王子会場(東京工科大学)

運営の詳細は会場責任者に一任されています。約130名の参加者数を集め、国内最大規模となった八王子会場(東京工科大学)では、岸本好弘先生(メディア学部准教授)が、会場だけの基調講演を実施。旧ナムコ出身のクリエイターで、「ファミスタ」シリーズの生みの親として知られる岸本先生の特別授業に、多くの参加者が聞き入りました。その後、岸本先生は自ら開発チームの一員に加わって、ゲーム開発に挑戦されました。

福岡会場(福岡工業大学短期大学部)

福岡会場(福岡工業大学短期大学部)では初日を前夜祭と称して、参加者全員でボードゲーム大会を楽しみ、親睦を深めました。ゲーム開発は二日目から始まり、短縮版ながらもユニークなゲームが続々と開発されました。厚木会場(湘北短期大学)では、教員も学生も一緒になってゲーム制作に挑戦。川崎会場(ギークハウス武蔵小杉)ではシェアハウスの住人が会場を提供し、皆で夕食を自炊しました。京都会場(京都市南青少年活動センター)のように、初日と二日目は参加者が自宅で制作し、最終日だけ会場に集まってゲームを完成させた例もありました。

また多くの会場ではUstreamによる中継が行われ、全世界に向けて発信されました。なかでも東京工科大学ではコンテンツ制作グループ「BaNyaK と「Digital Camp!us」が共同でGGJ特別番組を配信し、多彩なゲストが出演。全国の会場の模様もリレー中継されました。Ustreamの模様はGGJ福岡会場の特設サイトに整理されており、一部は録画が視聴可能です。

一ツ橋会場(国立情報学研究所)

開発プラットフォームも広がりが見られました。最も多かったのはゲームエンジンのユニティを使ったチームでしたが、ほかにアンリアルエンジンや、enchant.js、tmlib.jsといったJavaScriptベースのゲームエンジンを用いたチームも見られました。東京・一ツ橋会場(国立情報学研究所)では、enchant.js上で実行するスクリプト言語のアトラスXを用いて、スマートフォンのGPS機能と連動するノベルゲーム制作に挑戦。結果として女性の参加率が高い会場となりました。

ほかに開発のかたわらバーベキュー大会や、温泉でのリフレッシュ、ピザをつまみながらの交流タイムを設けた会場もみられました。こうした参加者間の交流もGGJの楽しみの一つといえるでしょう。


日本でのGGJのはじまりと浸透。運営の多様化と特徴

さて、このように過去最大の参加者数となった今年のGGJですが、どのように日本に浸透していったのでしょうか。

初年度となった2009年では、早くも京都のゲーム開発会社、キューゲームズがエントリーしています。しかし広くGGJの存在が知られるようになったのは2010年で、北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)と東京工科大学のエントリーがきっかけでした。

当時、JAISTで運営責任者を務めた宮田一乘先生は参加の理由について、もともとCG-ARTSからスーザン・ゴールド氏を紹介されたこと。また全世界規模のイベントということで参加したとコメントしています。また宮田研究室では国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト(IVRC)に毎年参加していたことも、追い風となりました。

もっとも修士論文の締め切り時期と重なったため、参加者集めに難航。石川工業高等専門学校やOBが勤務する企業などにも広報を行ったそうです。その後も時期的な問題から参加が途絶えていましたが、GGJ2013では学生が中心になって企画運営したことで、3年ぶりの参加となりました。

また現在も東京工科大学で運営責任者を務める三上浩司先生は、もともとIGDA教育専門部会が作成したカリキュラムフレームワークを通して、スーザン・ゴールド氏の名前に親しみがありました。そんななかCG-ARTSからGGJの存在を知り、参加することになりました。お二人は知己だったこともあり、会場の様子をUstreamで中継しあうなどして交流。最終発表もお互いの会場の発表が聞けるように時間を調整して実施したのことです。

その後も九州大学や北海道大学が参加するなど、日本のGGJは大学を中心に拡大していきました。これには「連泊が前提」「電源やインターネット回線が必要」「不特定多数の参加者を収容」という条件を満たす会場が少ない点があげられます。

一方でGGJが開催される1月末は、前述の通り大学関係者にとって最大の繁忙期。受験シーズンともぶつかります。また会場申請や運営に際して、運営責任者が主催者側と英語でメールのやりとりをする必要があったことも、障壁の一つでした。

しかし、GGJ2013では一気に会場が多様化しました。これにはGGJの認知度向上に加えて、今年から国別にリージョナルコーディネーター制度が導入され、日本語で気軽に会場申請が可能になった点が貢献したといえるでしょう。

なかでも札幌と福島で、ゲーム専門学校による会場参加がみられた点は画期的でした。札幌にはKawaz、福島にはIGDA東北というゲーム開発者コミュニティが存在し、これらが専門学校と結びついた形です。新宿のハッチアップ、名古屋のインティ・クリエイツ、熊本のアルファシステムなど、企業が会場提供する例が見られたのも特徴でした。

札幌会場(左2枚)、福島会場(右2枚)
沖縄会場

また沖縄会場では地元企業と沖縄大学、産業支援センター、NPOなどが中心となって「Global Game Jam Okinawa 2013 開催を目指す会」が2021年9月に発足。全4回のワークショップを経てGGJに臨みました。このように地方自治体と結び付き、産業・人材育成の一環として開催された会場が見られた点も、大きな特徴でしょう。

福島会場

ほかに福岡会場では、福岡工業大学短期大学部の弘中大介先生が中心になって、「8耐」とよばれるハッカソンを定期開催しており、このコミュニティがGGJに参加。福島会場でもIGDA東北が「FUSE」というGameJamを定期開催し、GGJに挑んでいます。これら地方会場では、ふだんは東京で活躍するプロのゲーム開発者が、GGJにあわせて帰省し、参加する例もみられました。GGJが地域の「祭り」として育ちつつある様が感じられます。


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小野憲史

平日は主夫業に忙しいゲームジャーナリスト。雑誌『ゲーム批評』編集長を経て2000年よりフリーランスで活動中。Webを中心に業界レポート、インタビュー、コラムなどを発表している。主な連載に「小野憲史のゲーム評評」(inside)など。著書に『ニンテンドーDSが売れる理由』(共著)『ゲームニクスとは何か』(構成協力)がある。NPO法人IGDA日本代表。