大学・企業現場リポート ディジタル最前線

Vol.23 ハリウッド映画界でアカデミー科学技術賞を受賞した坂口氏にきく 




アカデミー賞には、科学技術賞(Scientific and Engineering Award)と呼ばれる賞があり、今年は日本人がこの賞を受賞した。
受賞を果したのは、デジタルドメイン社に所属する坂口亮氏。
過去にも日本人がアカデミー科学技術賞を受賞した履歴はあるが、ハリウッド映画の映像制作者としてこの賞を受賞した日本人は、彼が初めてだといえる。今回は、喜び覚めやらぬ坂口氏に、受賞にいたるまでの歩み、受賞への想い、そして将来への展望などを語ってもらった。

※受賞式、デジタルドメイン社で受賞した同僚Doug Roble氏およびNafees Bin Zafarsi氏と共に。

海外の仕事環境

坂口氏は1978年生まれ。
慶応義塾大学の環境情報学部でCGや映像制作を学んでいた。
大学3年のときに、デジタルドメイン社へのインターンの制度を持った新しい専門学校が開校することを知る。 これはハリウッドでの映像制作への近道にあたると思い、大学を一時休学してインターン取得に集中。
その後、デジタルドメインで1年間インターンをして帰国。帰国後は慶応大学に戻って再び映像制作やCGを学び、卒業と同時にデジタルドメイン社に就職した。

幼いころからずっと、映画や映像制作に興味があった坂口氏だが、大学在学中にLightWaveというソフトを知り、もしかしたら自宅で「フィフス・エレメント」のような映画が作れるのかもしれないと思ったのが、CGを始めた直接のきっかけだったという。そして、小さい頃から仕事の環境は自分の性格に合うアメリカと決めていた。具体的にアメリカの仕事環境のどんなところが合っていたのかという点が興味深いが、これに関して坂口氏は次のように語った。

デジタルドメイン社

「自分が小さい頃から意識していたアメリカの仕事に対する姿勢というのは、仕事を一生懸命するのは家族や自分が生活を楽しむため、一番大切なのはあくまで自分および家族だという姿勢です。
たとえばどんなに仕事が忙しくても、身内の大切なイベントは仕事を休んで参加する。
仕事が忙しかろうと、自分の生活が第一だからそちらを優先するという姿勢を、上司や会社も当然と思っているので、どんなに締め切りが近かろうと、どんなに自分の役割がプロジェクト内で大きかろうが、休む理由をきちんと説明すれば簡単に会社側が理解してくれます。こういった姿勢は他の言い方をするとメリハリの利いた仕事スタイルと言えるかもしれません。
仕事をする時は思いっきり仕事をする、思いっきりするからこそ、仕事をでてしまえば自分の生活を大事にし、思いっきり遊びます。
こういったメリハリのついたところが自分には合っていると思います。

次に大きいのは、会社内の人間関係だと思います。上司や部下、国籍、学歴などといったステータスをほとんど気にせず、相手が誰であろうと自分の主張はきちんとする。
主張された側も、上下関係に関わらずそれを尊重するといったカルチャーがあります。 性別、年齢、キャリアなどに関わらず、仕事で自分の能力を証明すれば自分の意見は尊重されます。
逆にいえば、こういったカルチャーでリーダシップを発揮しようとすると、積極性がリーダーとしての威厳に関わってきます。自分の意見をしっかりともっていて、場合を判断してきちんと上にも意見を出して行けるような姿勢が必要です。
自分にとっては、こういった公平で積極的な姿勢が、とても居心地がいいと感じています」 現在は、ハリウッドの映像プロダクションで働くことにより、映像制作の手法や技術はもちろんの事、仕事と仕事以外の生活とのバランスの取り方、日本人にはカルチャー的に難しい外国人との接し方など、映像制作に限らない様々な貴重な事を日々学んでいるのだそうだ。

流体シミュレーションとの出会いと受賞

今回のアカデミー科学技術賞の受賞では、デジタルドメイン社が独自に開発した流体シミュレーションのパイプラインがアメリカの映画業界の発展に大きな影響を及ぼしたということが受賞の理由となった。

「ロード・オブ・ザ・リング」のブルイネンの浅瀬の馬のシーン、「デイ・アフター・トゥモロー」のニューヨークの洪水シーン、「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールドエンド」の世界の果てのシーンなどといった映像を作り出す為に開発された技術が、その後のVFXスタジオの開発の手本になったこと、映画監督の求める「水の表現」に大きな影響を及ぼしたことなどが評価されたようだ。

坂口氏は、デジタルドメイン社の流体シミュレーション・システム全体のデザインと開発、流体ソルバー(※)の実装、社内のボリュームレンダラーとの連携、各映画プロジェクトにおけるR&D、そこから発見された問題点をもとに再改良と、広範囲渡って受賞技術に貢献している。

※流体シミュレーションでは、ナビエストークスの方程式と呼ばれる微分方程式を解く必要があり、ソルバーとはこの方程式を解くためのソフトウエアを指す。



学生のころから、ハリウッドの映像のクオリティは、博士号をもった人たちが独自のソフトウェアを開発して成し遂げているという印象を持っていたという坂口氏だが、流体シミュレーションというテーマに取り組むことになった直接のきっかけは、映画「ディ−プインパクト」のメイキングを本で読んだことだった。
そこには、流体力学の学者がILMでソフトウェア開発をして他では成し遂げられない映像を作り出したということが書かれており、ハリウッドで最先端の映像を作るには流体力学を用いたソフトウェアを書けるようにならないといけないということを実感したのだそうだ。

流体シミュレーションの魅力を、坂口氏は次のように語っている。
「映像を作る以上は、他の誰もつくりだせない映像をつくれるようになりたいと思っていました。その当時、流体を用いて作る映像には、まだまだ新しい開発が必要であり、それができる様になれば業界で初の映像が作れるというところに魅力を感じたと思います」

しかし、それから受賞にいたるまでには、坂口氏なりの影の努力の積み重ねがあったようだ。流体力学、アカデミー科学技術賞と聞くと、さぞかし理系の分野が得意なのかと思われがちだが、同氏は決して理系が得意であったわけではなく、大学時代も数学からは遠ざかっていたという。ところが、流体シミュレーションのテキストや最新の論文の内容を正確に理解するためには、数学的な知識が不可欠だ。
そこで、デジタルドメイン社に入社したのちに、中学校の数学の本からよみ返して数学を学びなおして、流体力学や流体シミュレーションの理論を習得したのだという。
もともと理系が得意な人の受賞とは違い、自分の苦手分野での受賞であったということが、同氏にとっては大きな意味をもっていたようだ。

※画像は「デイ・アフター・トゥモロー」 DVD発売中 20世紀フォックス ホームエンターテイメント

新しい映像のあり方を探求するWOWの考えたこと

今回、流体シミュレーションという分野では、大きな成果を残した坂口氏だが、今後は流体シミュレーションを越えた数々の課題に取り組んでいきたいのだという。

たとえば、技術の部分ではライティングおよびレンダリング、特にPhysically Based Renderingの分野にもっと時間を割きたい。また、それと並行して、映像全体のクオリティをあげることにも興味があり、そのためには、自分の得意分野以外を指揮できるようになること、アーティストの効率性の管理、外国人に対するリーダーシップの経験をもっと積む事などが必要とされるのだという。

最後に、海外で映像制作の仕事をしたいと願っている人達へのメッセージをお願いすると、こんな答えが返ってきた。

「海外の仕事はマーケットが広いため、高いクオリティを達成するだけの予算や時間的な余裕があります。
また、映像が公開されたときにより多くの視聴者に見てもらえるといった喜びもあります。
ただ、その反面で、日本からでは見えないような様々な苦労があることが事実です。それは、仕事の上ではもちろんの事、仕事外の生活面等すべてにおいて言えると思います。
ですから、その両面を十分踏まえた上で、それでも海外で仕事をする気持ちがあるのであれば、海外に出て我々日本人が異国のカルチャーの中でも活躍できることを一緒にを証明していきたいですね」。

坂口氏自身もまだまだ若いのだが、今回の受賞が、学生をはじめとしたさらに若い世代の人達にとっての大きな活力となることを、同氏は願ってやまないと語られた。

取材/文:倉地 紀子(ジャーナリスト)

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