TOP > 先輩からのメッセージ

2013/1/17更新

記事:1  2  3


自作のCG映像がたぐり寄せた、2度の「即採用」

ー 日本映画学校を卒業したあとは、ドキュメンタリー映画『妻はフィリピーナ』(1993)や『大怪獣東京に現る』(1998)の音響・音楽を担当したそうですね。でもお話を伺っていると、音ではなく映像への思い入れの方が強いように感じるのですが?

いつかは『スター・ウォーズ』みたいな映画を作りたいと思っていましたが、音楽も好きだったんですよ。僕は楽譜を読むことはできないんですが、ヤマハのミュージック・シーケンサー(作曲用の専用機器)を使って、在学中から『妻はフィリピーナ』の音楽や先輩の卒業制作の音楽を打ち込みで作曲していました。親が音楽の先生だったので、その影響も受けていたでしょうし、そこそこの適性はあったんだと思います。今でも、たまにバンドでサックスを演奏することがありますよ。最近の音楽活動はあくまで趣味で、うまいわけではないですけどね(笑)。

卒業制作の音楽を喜んでくれた先輩の紹介もあって、しばらくは映画音楽の仕事を続けていました。映像の現場にも少しだけ入ったんですけど、きつくて続かなかったんですよ(笑)。『スター・ウォーズ』とはほど遠い仕事ばかりで、やり続ける根性が全くありませんでした。映画音楽を作りつつも、本当は『スター・ウォーズ』みたいな特撮を作りたいんだよなぁって思いながら悶々とした日々を送っていましたね。そんなときに偶然CGと出会って、人生が一変したんです。ある日実家に帰ってみると、妹の彼氏が自作したPCが置いてあって「お兄ちゃんが絶対好きそうなものが入ってるよ」って勧めてくれました。そのPCにインストールされていたのが、DOGA-L1というフリーウェアの3DCGソフトでした。これはCGのパーツを組み合わせてモデリングしたり、そのモデルにアニメーションをつけたりできるソフトで、あまりの面白さに直ぐ夢中になりました。そのまま3日くらい実家にこもって、「CG楽しい〜!!!」って言いながら『スター・ウォーズ』みたいな映像を作り上げたんです。

ー そのCGとの出会いが、人生を大きく変えたわけですね。

それからの仕事はCG一色になりましたね。ちょうどその頃、妹が務めていた会社の取引先がCGアーティストを探していたんです。社員数4、5人の小さなゲーム会社で、僕が作り溜めた3DCGモデルのデータや映像を見せたらすごく喜んでくれて、即採用が決まりました。その会社でLightWave 3Dの使い方を覚えて、セガサターン用の『ケリオトッセ!』(1998)というゲームのムービーを制作したんです。僕が参加した時点では絵コンテも未完成の状態だったので、僕が絵コンテから描き直しました。その仕事が終わったあとは、株式会社学習研究社(現在の株式会社学研ホールディングス)の子供向け月刊雑誌『科学と学習』用のマンガを1年ほど連載したんです。毎回新キャラをモデリングし、わりとリアルテイストのシェーディングを設定し、出版用に350dpiでレンダリングし、コマ割りしたマンガ仕立てにしたものです。当時としては巨大サイズのレンダリングだったので毎回苦戦しましたね。でもその1年でモデリングのスピードが速くなったし、力をつけるための下積みとしては最適だったと思います。今になって振り返ると、どのキャラクターも酷いでき映えなんですけどね(苦笑)。

ー 人生初のCGの仕事で、早速それまでに培ってきた絵コンテや映像演出の知識が役に立っていたわけですね。ゲームのムービー、マンガの連載と経験されて、アニメ業界に足を踏み入れるのはいつ頃になるのでしょうか?

MOMO展に投稿した作品のキャラクター「モーリ」。StudioMOMOから発売の作品集「もも本」にも掲載された。

MOMO展に投稿した作品がきっかけになりました。MOMO展はプロ・アマを問わず投稿できるCGの展覧会で、年に数回、定期的に開催されていました。最盛期のMOMO展はすごく活気があって、CG好きが集まるコミュニティを形成していましたね。当時の投稿作品の主流は美少女CGで、僕も女の子のCGや映像を作っては投稿していました。そんな折、日本映画学校時代の友人が、MOMO展に投稿した僕の映像を見つけて連絡してきたんです。彼は株式会社ゴンゾに勤めていて、「ゴンゾがCGアーティストを募集しているんだけど、興味はないかな?」って誘ってくれたんです。当時のゴンゾはOVA『青の6号』(1998)を作っていた頃で、かっこいいCG映像を作っているなって、誘われる前から注目していました。CGアーティストを募集していることも知っていたんですけど、僕にはまだ早いと思っていましたね。ところがゴンゾの方から誘いが来てしまったので、これは行くしかないと覚悟を決めたんです。面接でゴンゾの方にMOMO展に投稿した作品を見せたら「この作品なら既に知ってますよ。これを作った方ならOKです!」と言われ、このときも即採用が決まりました(笑)。

ー 素晴らしい。自作のCG映像が、2度の「即採用」をたぐり寄せたわけですね。

やっぱり、一番やりたいことをやるのが良いんですよ。やりたいこと、好きなことであれば、いくらでも根性を出して頑張れますからね。


リミテッドアニメを極めていけば、自分たちの強みにできると思った

ー ゴンゾ入社以後はさまざまなアニメ制作に携わったと思いますが、とくに印象に残っている作品を教えていただけますか?

ヴァンドレッド』(2000〜2002)と、『ガラクタ通りのステイン』(2002〜2003)ですね。『ヴァンドレッド』は初めて参加したアニメ作品だったので、緊張しすぎて最初はうまくできなかったんですよ。そうしたら当時チーフをされていた河野達也さんが「いつも作っている特撮風の感じ、『スター・ウォーズ』の感覚で良いんですよ」って言ってくれて、すごく気が楽になりました。それからは遠慮せずに自分の作りたい映像を追求させてもらいましたね。『スター・ウォーズ』の宇宙船を頭の中に思い描いて、それを参考にアニメーションをつけていました。僕が担当した回の宇宙船の動きには重さが感じられると、監督から評価されたのは嬉しかったですね。余談になりますが、河野さんは当時も今もフリーのCGデザイナーとして活躍されていて、『009 RE:CYBORG』にもゲストアニメーターとしてご参加いただきました。物語りの中盤にジェット(002)の搭乗する戦闘機と、その追っ手がドッグファイトを繰り広げるシーンがあって、ほぼすべてを河野さんに作ってもらったんです。実に6年ぶりのタッグだったので、感慨深いものがありました。

『ガラクタ通りのステイン』の方は、キャラクターの芝居をフルアニメーションで作るのが本当に難しくて苦労しました。動きをピタッと止めると死んだようになるので、止められないんですよ。なかなか自然な動きを表現できなくて、悩みながら作った記憶があります。でもこの作品は、後日色々な方に「好きだよ」と言ってもらえたし、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の優秀賞も受賞したのですごく印象に残っています。

ー 当時はまだ、CGでリミテッドアニメーションを作るという発想はなかったのでしょうか?

今になって振り返ると不思議なんですが、当時は誰も挑戦していなかったですね。『ヴァンドレッド』でも、そのほかのアニメでも、手描きの方はリミテッドアニメで、そこにCGのフルアニメを合わせていました。その頃一緒に制作していた作画のアニメーターが、すごく細かいタイムシート(※1)を書いていたことがあったんですよ。2、2、1、3、2、2、1って感じで、1コマ打ち、2コマ打ち、3コマ打ち(※2)を自在に組み合わせて表現していました。「これは何か法則性があるんでしょうか?」って僕が質問したら、「そんなのは経験だよ」という応えが返ってきて、「僕たちには到底できない!」って思いましたね。リミテッドアニメは熟練の作画アニメーターだから可能な技なんだと信じきっていました。本格的にリミテッドアニメに挑戦し始めたのは、松浦裕暁(サンジゲンの代表取締役)たちと一緒に「三次元」を立ち上げたあとですね。

※1:タイムシート
1 秒が24 分割されており、動きのタイミングをコマ数で表現した表になっている。原画と動画の枚数や画の重ね方、カメラワーク、仕上げへの申し送り、撮影時の特殊効果などの情報が集約されている。

※2:コマ打ち
アニメーション表現において、同じ絵を何回表示させるかを示す値。日本の一般的な TV アニメの場合、1 秒間に24枚の絵を表示し、そのうち 3 枚は同じ絵を使う 3 コマ打ちを基本として作られる。このようなコマ打ちによる表現のことをリミテッドアニメーションとよぶ。対照的に、すべてのコマで違う絵を表示させる表現のことをフルアニメーションとよぶ。ゲームのムービーや北米のアニメーションはフルアニメーションが主流となっている。

ー 「三次元」とういのは、サンジゲンの前身となったフリーランス集団のことですね。

そうです。とあるTVアニメ企画のプレゼンテーション用に作った試作映像が、すべてのリミテッドアニメの始まりでしたね。キャラクターは全部セルルックの3DCGで表現して、動きはリミテッドアニメにして、これが「三次元」のアニメCGです!ってドーンと打ち出すはずだったんですけど、景気減速が逆風になって企画がポシャってしまいました(苦笑)。結局そのPVは未発表のままお蔵入りになりましたね。

話が前後しますが、先ほど話した『ガラクタ通りのステイン』で僕がフルアニメに苦労していた頃、ちょうど神山監督の『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002〜2003)が放送されていたんです。作中に登場する多脚戦車のタチコマというキャラクターが、3DCGなのにリミテッドアニメで表現されてましたよね。すごく愛嬌のある動きで「やられた!!!」って感じました。もう悔しくてね(笑)、だからそのPVを作る時に、僕たちだってやればできるんじゃないかと思って、見よう見まねでリミテッドアニメを作り始めたんです。当時から人気があって僕自身も好きだった『デジタルモンスター』のTVアニメシリーズ(1999〜)のキャラクター芝居を分析して、僕たちの3DCGキャラクターの動きに適用していきました。タイムシートの書き方はわからないので、フルアニメで作った動きを全コマレンダリングして、あとからAdobe After Effectsで不要なコマだけ抜いていったんです。

ー 『デジタルモンスター』などのアニメの記憶を参考にして、手探りでコマを抜いていったわけですね?

そう。アニメっぽいタメツメのある動きを表現するために、どのコマを抜けばツメに見えるのか、どのコマで止めればタメに見えるのか、実際に試しては確認するトライ&エラーを繰り返しました。そうしたら、リミテッドアニメができちゃったんですよね。「うわ〜、できるわ〜!」って感動しましたね。タメツメを意識した表現によって、こんなにも親近感のわくアニメっぽい動きを実現できる。このやり方を極めていけば、自分たちの強みにできるんじゃないかと思いました。

ー リミテッドアニメへの挑戦を後押しするきっかけになったのが『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』で、10年のときを経て、その作品の監督と一緒にリミテッドアニメの長編映画を作ることになるとは、これまた運命的な巡り合わせですね。

全くですね。『009 RE:CYBORG』を作るに当たって、神山監督からは「もっとコマを抜いてください」と指示されたんです。それまでは基本2コマ打ちでやってきたので、本当に映画で3コマ打ちをやって大丈夫なのかって、最初は戸惑いましたね。『009 RE:CYBORG』の動きは基本3コマ打ちで、タメのときには4コマ打ちも使いました。でも全く違和感がなかったんですよ。日本の作画アニメの基本は3コマ打ちなんだなと、再認識しました。一歩間違うと手を抜いただけにしか見えないけれど、絶妙のタイミングでコマを抜くことで、すべてが良い方向に作用する。日本アニメが長い歴史をかけて磨き上げてきた技のすごさを実感しましたね。

next page  next page
 

鈴木大介さん

株式会社サンジゲン
取締役/アニメーションディレクター


日本映画学校卒業後、音響・音楽担当として複数の映画制作に参加。その後CGデザイナーに転身し、ゲームのムービー制作やCGキャラクターを使った雑誌連載に従事。『ヴァンドレッド』(2000〜2002)、『ガラクタ通りのステイン』(2002〜2003)などの制作を経て、2003年よりフリーランス集団「三次元」として活動。2006年に松浦裕暁氏らと共に株式会社サンジゲンを設立。『009 RE:CYBORG』(2012)では、メインキャラクターのモデリングやアニメーションディレクターを務めている。

 

尾形美幸

フリーランスのエディター&ライター。EduCat(エデュキャット)の屋号のもと「教育」を軸足に、Webサイトや雑誌での記事執筆、教材制作などを生業とする。東京芸術大学大学院修了、博士(美術)。CG-ARTSにて、教材やWebサイトの企画制作を担当した後、2011年4月に独立。著書に『ポートフォリオ見本帳』(MdN/2011)、共著書に『CGクリエーターのための人体解剖学』(ボーンデジタル/2002)がある。