2011/07/13更新

三宅陽一郎氏は、「ゲームAI」の技術発展の必要性を、日本のゲーム業界に対して発信し続けている開発者として知られている。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)のゲームAI専門部会の設立を行ったり、twitter上でゲームAIについての議論を活発に行ったり、日本でゲームAIと言えば、ちょっとしたアイコン的存在だ。

その三宅氏に、「ゲームAI」が何であるのか、なぜ今この技術の必要性が増しているのか、そして、日本の教育や研究機関はゲームAIをどう位置づけたら良いか、について伺った。

三宅氏のゲームAI研究の起源は、人間の知能の本質への興味

AI(Artificial Intelligence)は、通常「人工知能」と訳される。1956年にコンピュータを使って人工的な知能を作ろうという議論がアメリカで行われ、この言葉が初めて定義された。その後50年あまりの間に、コンピュータを制御するOSや、ロボットを制御するプログラムなど、数多くの技術が登場した。コンピュータ性能の向上に従って、AIが扱える範囲は広がっていった。

いまだコンピュータ技術は、人間の知性と同様に思想するようなAIを作るには至っていない。しかし、AI技術は社会の中で多数応用されている。そして一般的に、それはAI技術だと考えられていないことも多い。たとえば、工業用ロボットの制御技術や、カーナビの技術、カメラのオートフォーカス技術や、Googleなどの検索エンジン。AIがもつ一般的なイメージからは、かなり離れたものも少なくない。そのため、AIは普段の生活では意識されないことが多い。

それでは、なぜ、今の時代に「ゲームAI」が重要だと考えるのか。
それは、三宅氏のゲーム開発者としては異例の経歴から紐といていく必要がある。

三宅氏は、京都大学で数学を専攻した。卒業後は大阪大学に進み、修士課程で物理学を専攻し、同大学の核物理研究センター(RCNP)や高エネルギー加速器研究所(KEK)で原子核物理学の実験的研究を行った。博士課程では東京大学工学系研究科に所属し、電子ネットワークの内部状態をリアルタイムに把握する研究を行っていた。

普通に考えれば、ゲームにつながりそうにない。

ただ、三宅氏の源流は、世界の仕組みを数学的、かつ抽象的に捉えようとする発想にある。数学のような抽象性の高い考え方によって、世界のあり方を掴もうとするモノの見方だ。抽象的なモノであっても、コンピュータ上であれば、きちんとモデル化し、数式化し、プログラムに落とすことができる。具体的な姿をコンピュータ上に表示し、シミュレーションを行うこともできる。数学、物理学、工学に関連する研究を行いながらも、学生時代の三宅氏は「人間の知能とは何であるのか」を考え続けていた。

そして、あるとき知能の本質とはこういうものだ、というビジョンを得た。

「知能とは、人間の内部と環境との境界にあって、内部状態を保持するためのシステムだ」「人間の内部には、いろいろなシステムがある。外部の環境にも様々なシステムがある。そのシステムに何かの条件を与えることで、内部と環境との境界で何が起こるかを見ていけば、知性の本質に迫れるのではないか」「境界上のシステムは、いろいろな回路として別々に存在していても、集まって機能することによって、寄せ集め以上の別の性質をもった働きをする。たとえば、それは意識とよばれるものかもしれない」

もう少しわかりやすく言うと、次のようなことだ。一人の人間は、自分と自分が生きているまわりの世界(環境)との情報のやりとりによって生きている。人間の内部には、脳を中心とした独自のシステムが存在している。そのシステムは、自分のまわりの環境から何らかの情報を受けると、その情報を処理して、行動によって環境に送り返す。そうやって人間の内部システムは、環境の中に含まれながらも、環境と相互作用しながら、自己という平衡系を保つために行動し続ける。

日本には、デジタルゲームのAIを研究している大学やゲーム会社はなかった

環境となる、現実世界を反映した3次元の仮想空間を作る。そして、人間の代わりに、モデル化した知能をもち、内部状態を保持しているエージェントを用意する。そのエージェントと環境が情報をやりとりしあう。三宅氏は、そうした実験をコンピュータ上で突き詰めていくことで、知能をシミュレーションできるだろうと考えた。

これらの研究を論文にまとめ、学会発表をくり返しているうちに、こういう考え方はデジタルゲームの分野に近いのではないかと感じるようになった。

三宅氏が学生だった2003年頃は、「プレイステーション2」が爆発的な人気を得ていた時期で、3次元空間のリアルタイム表現技術に関しては、ゲーム分野が最も進んでいた。当時の格闘ゲームなどに代表されるキャラクタの制御技術も、高度に見えた。

当時、日本のゲーム業界がどのような技術をもっているかといった情報は殆ど公開されておらず、論文もなかった。しかしゲーム会社には、さぞゲームAIの技術が蓄積されているだろうと想像して、三宅氏の経歴とはまったく畑違いだったゲーム業界に飛び込んだ。

ところが事前の予想に反して「日本のゲーム業界では、全般的にAI技術が蓄積されていない」という事実を知り、ショックを受けた。三宅氏は、自分が勘違いをしていたことに気がついたのだ。様々な論文を読み、調査を進めていくにつれて、きちんとした「ゲームAI」とよべる技術も、その研究も、日本の大学やゲーム会社には殆ど存在していないことが、わかってきたのだ。

FPSがゲームAI研究の必要性を生み出した

「ゲームAIが、研究分野としてなかなか認識されてこなかった原因の1つは、AI研究という言葉がもっている曖昧さにある」と、三宅氏は話す。

一括りにAI研究と言っても、それが指す意味は多様だ。脳のアルゴリズムの一部の研究を指す場合もあれば、脳を再現することが目標になっている場合もある。アルゴリズムの一種のニューラルネットワーク、遺伝的アルゴリズム、推論アルゴリズムのことだけを指す場合もある。こういった要素技術だけを取り出して研究した方が、論文の体裁になりやすく成果を上げやすい。そのため、「知能」を統合的に理解するためのAI研究は、世界的に見ても、それほど多いわけではないという。

「知能の一機能を抜き出して発展させる研究と、この世界の中で自律した一個の知性を組み上げる仕事は、まったく違う側面をもっています。一個の知性を組み立てるなど時期尚早だと言う人もいれば、それこそが人工知能の本質なのだと言う人もいます」

したがって、わざわざ仮想空間の中で、AIを研究しても意味があるのかという議論が出てくる。そもそも仮想空間内の知能を研究すること自体が、人間の社会に直接的に役に立つのかどうか不明瞭だったからだ。ゲーム産業がこれほど大きくなり、社会的な影響力をもつようになるまでは、世界的にもそういう傾向だった。

ファミコン時代の2次元グラフィックスの場合は、ゲームはまったくと言って良いほど、AI研究の対象として認知されていなかった。「スーパーマリオブラザーズ」の動きが、AI研究の対象として価値があるのか。マリオの動きに「反応する」敵キャラクタたちはAIと言えるのか、議論が付いて回った。

しかし、その傾向が欧米圏では劇的に変わってきている。この変化は、コンピュータ技術が発展し、ゲーム内での3次元空間表現が可能になったことで起こった。特に、1993年の「DOOM」(id Software)によってジャンルが作られた一人称シューティングゲーム(FPS ※)の登場は、ゲームに独自のAI技術を導入する必然性を明確にした。

※ 一人称シューティング(First Person Shooter):主人公の視点でグラフィックスが表示されるゲームのこと。
敵キャラクタの制御は、3次元空間になると劇的に難しくなる。まわりの地面の起伏の把握、登ることができる階段の有無の認識、ユーザが操作するキャラクタ(プレイヤ)への反応、といった知的活動を行わせる必要がある。ゲーム空間が2次元だった時と比較すると、3次元空間では、敵キャラクタの行動を決定するために必要な周囲からの情報は、2倍どころではなく、10倍以上になっている。

登場するキャラクタは、自分の置かれている環境をリアルタイムに理解し、自身の内部状態を考慮して判断を下さなければならない。ゲームという仮想空間の中での「知能」、つまり「ゲームAI」が必然的に必要になったのだ。

ゲームAIがおもしろさの鍵となっている、欧米圏のゲーム

1990年代後半には、ゲーム技術の発展に引っ張られる形で広がっていった仮想空間のAI技術を、具体的な成果が生み出せる研究対象として認知する研究者たちが登場してきた。その流れは、1998年頃から一気に具体的な形になっていった。

特に、マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボから登場した「C4アーキテクチャ」とよばれる研究は、「ゲームAIの発展に大きな影響を与えている」と三宅氏は言う。

この研究は、仮想空間のキャラクタに関するもので、「学習する」「人間とインタラクションする」「自律性をもつ」といった特性を有するペット型エージェントの実現を目的としていた。狼や犬といった生物を仮想世界に再現したもので、人間の指示に応じて手懐けられていく賢明なエージェントを作るため、AIソフトウェアのアーキテクチャが探求された。

重要なのは、このペットが素朴とはいえ内部ダイナミクス(生物の内面の動的なシステム)を抱えていたことだった。ユーザの働きかけに反応を返したり、逆に、ユーザからの指示がなければ、動物らしく勝手な振る舞いをする。素朴とはいえ「知性」をもっていたわけだ。

この研究は、AI関連の学会やGame Developers Conference(GDC)で発表され、広まっていった。やがてゲーム会社がその成果や研究者を引き込むようになり、相互に情報交換をしながら技術を高めていくようになった。

「このモデルに改良や変形が加えられ、2000年代のいくつかのFPSの基本フレームへと応用されました。結果として、これが2000年代を貫く流れとなっていきました」

この研究グループからは、現在のゲームAIに大きく影響を与えた人材が輩出されている。アメリカBungie社の「Halo2」(2004年)、「Halo3」(2007年)のゲームAI開発に参加し、複雑な振る舞いを見せる敵AIの意思決定手法を作り上げた、ダミアン・イスラ(Damian Isla)氏だ。また、同じMITメディアラボには、MITで研究を続けながら「F.E.A.R.」(Monolith Productions、2004年)の「ゴール指向型アクションプランニング」(GOAP, Goal-Oriented Action Planning)とよばれる、まるで本物の人間であるかのような印象を与える意思決定の動きを見せる敵AI技術を開発したジェフ・オリキン(Jeff Orikin)氏がいる。

欧米のゲーム会社では、ゲームAIの完成度の高さと、ゲームのおもしろさが直結することが、深く意識されるようになっていった。見通しの良い環境に多数の障害物が転がっている空間をAIに認識させ、さらに、それらAIを軍隊のようなチームとして振る舞わせる。さらに、プレイヤを敵として攻撃させる。これらを実現するゲームAI技術は、ゲームの質を決定的に変えてしまう存在だからだ。

一方で、日本のゲームAI技術は、大きく遅れをとっている。いまだ、プレイヤの動きに機械的に反応するプログラムを作り込むことで、敵の動きが自然であるかのように見せるやり方が多用される。これは、2次元グラフィックスがゲームの主流だった時代から変化していない。

そのため三宅氏によると、日本の3次元空間のゲームでは、敵の行動範囲を特定の空間に限定することで、複雑な「知性」をもつ必要がないように設計するアプローチが多いそうだ。「これは『お化け屋敷型AI』(三宅氏命名)とよばれるやりかた」だと、三宅氏は言う。次から次へと新しいお化け屋敷を巡るように、ユーザは決められたイベントが仕込まれた部屋を巡る設計になっている。AIはユーザが来るのをじっと待って、ユーザが来たら特定のアクションを行うだけで良い。そのため、ゲームAIに「知性」が求められることは少なく、敵の動きも単純なことが少なくない。ゲームAI技術の遅れがゲームデザインを強く束縛しているという、深刻な事態におちいっているのだ。

ゲームAIは、抽象性の高いエンジニアリング技術

人工知能を作ることは、プログラミングを行うこととまったく違う軸がある、と三宅氏は言う。「人工知能は非常に抽象度の高い分野です。何か目に見える対象に対してプログラミングすることとは、一線を画する部分があります。明確に抽象的なシステムを把握してから、実装へ落とし込んでいく必要があります。作成の前半では抽象的な概念を操る思考力と設計力が全てと言って良いでしょう。逆に後半では、そういった抽象的な場所から実際のゲーム世界に地に足が付くように、様々な具体的なゲーム要素と絡み合わせていく必要があります」

「ゲームAIを作るためには、エンジニアリング的な発想をしなければならないんです」という。日本のゲーム開発は、サブカルチャーとプログラム文化によって生み出されてきた面があるので、どうしても、プログラムを書くことが優先されてしまう傾向が強い。一方で、ゲームAIのように、事前に抽象性の高いモデルを組み立て、しっかりとアーキテクチャを設計することが求められる、エンジニアリング的な面が弱い傾向にあるそうだ。

三宅氏は、欧米圏のゲーム開発では、ハッカー的なプログラム文化がある一方で、「エンジニアリングが重要視される一定の領域が存在している」と指摘する。プレイステーション2時代のハードウェアには、コンピュータの計算力を必要とすることの多いエンジニアリングの領域を十分に包括するほどの力はなかった。しかし、Xboxの登場以降、次第にハードウェアの性能が上昇したことで、エンジニアリングの領域は拡大している。

そのため、ゲームAIのような設計力が必要とされる分野が必然的に重みをもつようになったのだが、「日本のゲーム開発では対応できなかった」という。AIは抽象性が高い分野なので、とにかく動けばなんとかなる、といったハッキング的なアプローチが難しい。やみくもにプログラミングすれば結果が出るのではなく、まず、その技術の概念を正確に理解する必要がある。抽象概念を理解してから、実際のゲームの要素技術に応用できるよう、組み込んでいかなければならない。

エンジニアリングには概念の連続的な結合によって初めて到達できる大きな理論の境地も必要なので、その場限りでゲームを作るのではなく、論文を読む、論文にまとめる、といった作業も必要になる。そうすることで、大学のような研究機関と地続きに技術をつなげていくことができる。しかし現実には、そういうことができる土壌が、日本には存在せず、日本のゲーム開発者にもそうした認識が広がっていない。

今後、日本のゲーム開発環境が新しいおもしろさを生み出すためには、ゲームAIに取り組めるような環境ができてくることが大切だと、三宅氏は言う。では、そういう不利な状況にありながら、日本の研究・教育機関には何ができるだろうか。

本編は、当初「前編」として公開し「後編」の掲載を予定しておりましたが、諸般の事情により「前編」のみの公開となりましたことをここにお詫び申し上げます。