2011/04/27更新

本連載ではゲーム業界の人材教育・キャリアパスについて、第一線で活躍されている方々へのインタビューを通して、さまざまな角度から紹介していきます。第8回目ではアクワイアで「侍道4」の制作に参加された、鹿野孝介さんと上田将史さんへのインタビューを通して、背景アーティストの仕事を紹介します。

仕事の内容を教えてください

鹿野:3月3日に発売されたPS3用ゲーム「侍道4」で、マップ班のリーダを担当しました。マップ班は地形や建物など、ゲームステージ全般のグラフィックスデータを作成するチームです。「侍道4」は最大25人と、現世代機のゲームとしては非常に小規模な開発体制が特徴で、マップ班も当初は上田と2名でスタートし、ピーク時には5名まで増やして進めました。

上田:鹿野さんの下で、背景アーティストとして作業を行いました。入社して初めてのプロジェクトで、企画段階からマスターアップまで、ゲームの制作工程を一通り体験できたのは、非常に勉強になりました。

背景アーティストは、どのように開発工程へ係わるのですか?

鹿野:開発では、はじめにプロジェクトの初期メンバー全員で、ブレインストーミングとアイディア出しを行います。「侍道4」の場合は、プログラマやゲームデザイナーなど、各セクションから十数名が参加して、ゲームの方向性や世界観を決定しました。パブリッシャ(販売元)であるスパイクさんにも参加していただき、「港町」「西洋」という本作のキーワードから、幕末で開国直後の「阿弥浜(あみはま)」とよばれる架空の港町が舞台となりました。

舞台が決まった後は、資料集めを行います。最初は上田と2人で、後にもう2名加わってもらって、参考になる建物などの資料を収集しました。江戸東京博物館や、旧岩崎邸庭園などを取材して、デジカメで写真撮影したりもしました。

上田:入社したてだったので、取材などを通して他のスタッフとコミュニケーションが図れたのも良かったです。そうした意味からも、プロジェクトの最初から参加できて幸運でした。

鹿野:次に資料を参考にしながら、コンセプトアートを作成していきます。昔は鉛筆やマーカを使っていたようですが、今では液晶ペンタブレットで、世界観をイメージするような絵を描いていきます。ツールはアナログからデジタルに変わりましたが、手で描くことに変わりはありません。

コンセプトアートのOKが出たら、いよいよCG制作をはじめます。まず全体のたたき台となるマップを作成します。今回は、ゲーム中でプレイヤーが最も頻繁に訪れる「港町」というマップの作成からスタートしました。はじめに全体の核となるマップを作って、ポリゴン数などの基準を定めるんです。さまざまな技術検証なども合わせて行います。

このたたき台でOKが出れば、決められた仕様に基づいて、マップの量産に取りかかります。本作では合計9個のマップを作成しました。本作の場合はスケジュールの問題で、ある程度たたき台ができたところで、その内容に基づいて量産に入り、最後に調整することになりました。

マップの量産が一段落したら、プログラマやゲームデザイナーと協力して、キャラクタやアイテムの配置や、イベントの設定などを行います。シナリオと密接に絡む部分なので、ぎりぎりまで修正が続きます。

そして最後にデバッグなどを行って、完成となります。

お2人が担当されたマップで、思い入れが深いものはどれですか?

鹿野:私はやはり最初の「港町」ですね。蒸気船が舞台の「黒船」というマップも、町ではなく船内が舞台ということで、新鮮な気持ちで取り組めました。

上田:私は外国人街の「居留地」というマップを作成しましたが、なにしろ初めてだったうえ、作業が二転三転したので、時間がかかりました。西洋建築の建物に特徴的なレリーフを盛り込んだりして、情報量が詰まったマップになったと思います。

「港町」のイメージ画

「港町」のゲーム画面


「黒船」のイメージ画

「黒船」のゲーム画面


「領事館」のイメージ画

「領事館」のゲーム画面


「代官所」のイメージ画

「代官所」のゲーム画面

鹿野さんは「侍道2」から一貫して背景アーティストを務められてきましたが、PS2とPS3で仕事の内容が大きく変わったところはありますか?

鹿野:本シリーズは「侍道3」からPS3になったのですが、ノーマルマップ(※1)やスペキュラマップ(※2)が使えるようになり、質感がぐっと向上したのが最大の違いですね。表現の幅が広がったぶん、作業量も増えました。

※1 ノーマルマップ:凹凸表現のための手法のこと。
※2 スペキュラマップ:光沢表現のための手法のこと。

さらに「侍道3」では時間の概念を取り入れ、プレイ中に昼夜がシームレスに変化するようにしたので、リアルタイムに光を変化させる必要がありました。そのためデータの作り方や絵作りの点で、プログラマとのやりとりが増えましたね。弊社でも、プログラマとアーティストの仲介をしてくれる、テクニカルアーティスト(TA)(※3)の存在が大きな助けとなりました。「侍道4」では昼夜のシームレスな変化は取りやめ、建物の影などはテクスチャへの焼き付けですませました。それでもCGのレンダリングについては試行錯誤の連続でした。

※3 TAについては第3回で詳しく紹介しています。
グラフィックスだけでなく、遊びの幅も広がりました。「侍道3」では、マップの広さがそれ以前のシリーズの1.5倍まで膨らみましたし、「侍道4」では、室内に入れる建物の数も増えました。それによって、マップ上のギミックも格段に増えました。これらは、ゲームデザイナーやプログラマとのやりとりを通して作っていきました。

今後は、大きな岩で建物が破壊され、破片が道をふさぐなど、マップ制作でも物理の要素が、より大きくなっていきます。そのため、セクション間の連携がさらに深まった制作体制か、より縦割りの進んだ複雑な制作体制かの二極化が進むでしょう。他のセクションと同様に、背景アーティストをとりまく環境も、ますます変化していくと思います。

背景アーティストの醍醐味を教えてください

鹿野:自分が作った世界を動かせることや、その中に入れることでしょうか? 言ってみれば天地創造にも似た喜びというか。私は一時期ゲームから離れて、映像制作の仕事も経験しましたが、一番感じた違いがそこでした。映像制作ではゲームのようなプログラムの制約がないぶん、突き詰めた絵作りができるんですが、やはり「動かせる」楽しさの方が私には向いていると改めて感じたんです。

上田:それまで油絵という平面的な世界にいたので、もう「奥行きがある」という点だけで嬉しかったですね。建物の裏側にも回れるんだ、みたいな。

お2人とも美大卒ですが、学生時代にCGはどの程度勉強されていましたか?

鹿野:実は入社するまでデジタルとは殆ど縁がなく、Photoshopをほんの少し触った程度でした。日常業務ではMayaとPhotoshopをよく使用するのですが、どちらも入社してから学んだんです。Photoshopは2Dなので比較的なじみやすかったですが、Mayaのような3DCGソフトに触れるのは初めての体験だったので、かなり苦労しました。同じアーティストでも、私はモーションなどには係わらないので、まだまだ使ったことのない機能がたくさんあります。

上田:私は学生時代にPainterをかじっていたので、Photoshopには比較的すんなりとなじめました。しかし、Mayaは同じように苦労しましたね。今でも鹿野さんに教えてもらいながら、日々勉強中です。

学生時代の勉強で、役に立っていることはありますか?

鹿野:日本画専攻でしたから、アナログならではの「やり直しがきかない」緊張感を体験できたことでしょうか。はじめてCGに触れたときは、いくらでもやり直しができるって、感動したくらいです。アナログとデジタルの両方を体験してこれて、良かったと感じています。

上田:私は油絵専攻でしたが、学校が放任主義で、自分の方向性をしっかりもっていないと、ずるずると流されるままに時間を過ごしかねない環境でした。そのため自分で計画を立てて、自主的に動く癖がついたのは良かったですね。また、小説の内容を元に情景を描くという授業が面白かったです。同じ小説、同じ場面でも、人によってさまざまな解釈や描き方があり、その点が印象的でした。

お2人の「就活」について教えてください

鹿野:もともと絵を描く仕事がしたかったのですが、残念ながら今と同様、当時もアニメやゲームぐらいしか、そういう仕事はありませんでした。一方で私が就職した2002年当時は、すでにゲーム業界は未経験者にとって狭き門になっていました。そこでネットの求人覧を「あ」から順に見て、新卒募集をしている会社を探していったんです。「『ア』クワイア」は一番上にありました。面接では日本画に加えて、アクリル絵具で描いた絵を数点持参したところ、運良く採用してもらえました。

上田:私も就職活動は自力で行いました。就職斡旋は学部によっては少ないし、自分の学部でも就職する友人は少なかったですから。そこで油絵と共に、Painterで描いたCGをポートフォリオとして提出しました。実は鹿野さんに面接してもらったんです。もうガチガチに緊張してしまって、何を話したか全然覚えてないですね。

鹿野:私と、アーティストの統括をしている者との2名で面接しました。確かにCGのスキルは低そうでしたが、デッサン力がしっかりしているのと、色使いが綺麗だったのが採用の決め手だったと思います。色使いの綺麗さなどは、センスによる部分が多くて、なかなか教えられるものではないですからね。

学生の応募作品について感じられることはありますか?

鹿野:応募作品にはすべて目を通していますが、残念ながら、どれも同じに見えることが多いです。とくに専門学校からは沢山のポートフォリオが送られてきますが、作り手の個性が見え辛いと感じることがよくあります。最近では、ムービー制作に必要な一連の作業を教える学校も増えてきました。そのためキャラクタをモデリングして、アニメーションをつけて、BGMや効果音を加えて、ビデオに出力して・・・と、一通りのスキルをもつ学生も珍しくありません。しかし、そのことで逆に、広く浅い表現の作品になってしまいがちのように感じています。

また、学校の課題レベルで、作品レベルに到達していないものも多く見られます。ガラスコップのCGなどを提出されても、それが極めて特徴的で、本人の個性を反映していない限り、選考のしようがありません。やはり「その人は何が好きで、何が得意なのか」感じられるような応募作品が良いですね。そういう作品は、ある会社がダメでも、別の会社のアンテナに引っかかる可能性があります。逆にそういう部分がないと、どの会社からも注目してもらえない、という恐れがあります。自分でアピールすることを整理しておくと良いかもしれません。

ゲーム業界をめざす学生や、教員にメッセージをお願いします

鹿野:特に、2年程度の期間の短い専門学校では、あれもこれもと欲張るよりも、「自分の好きなもの」を大切にして欲しいと思います。教員の方は、学生のそうした部分をうまく引き出して、育ててあげて欲しいですね。弊社にしても、和風のゲームを制作することが多いですが、そうした世界観が好きなアーティストばかりではありません。むしろ様々な人材が集まっている方が、強みになると思っています。会社の色ばかりにとらわれず、応募作品には自分の好きなもの、好きな気持ちをぶつけてみてはどうでしょう。

上田:まだまだ、周りの誰を見ても私より上手い、というのが現状です。実際に後輩の方が、私よりMayaの使い方が上手だったりするんです。そのため、私から何かアドバイスすることなんて、できません。それよりも、学生のうちにデッサンやパースなどの基礎を、もっと勉強しておけば良かったと痛感しています。コンセプトアートの段階では、実際に手を動かして絵を描きます。その時にもっと情報が伝わりやすい絵が描ければ、作業効率がアップしますから。

ゲーム会社のアーティストでも、CGツールを触っているだけではない、という点は興味深いですね。そうした基礎力を高める上で、アドバイスはありますか?

上田:デッサンについては、数をこなすことが第一です。同時に内容も充実させなければならないので、自分で時間を区切って進める方が良いでしょう。2時間ずつ1週間続けて、14時間で1枚を仕上げる、といった具合です。

上手い人のデッサンを数多く見ることも重要です。画集や、美大受験用の書籍などを見れば、画家や上位の受験生の作品を参照できます。

そのうえで、同じ目標をもつ仲間が多いほど、切磋琢磨できていいですね。他人の目に触れることを前提にデッサンをすれば、それだけ技術向上につながるとも思います。

本来の学業や課題制作などの支障にならないようにしつつ、デッサンを学ぼうとするなら、美術系の予備校などで行われている、一般参加可能な短期講習などを利用するのも手です。金銭的な負担が発生しますし、デッサンのみのコースだと選択の幅は限られてしまいますが、教える側はプロなので、短期間で大きくデッサン力を伸ばせる可能性があります。夏期・冬期休暇中によく開催されています。

鹿野:注意して欲しいのは、ゲーム開発の現場では、必ずしもデッサン力だけが重視されるわけではない、ということです。表現したいものや、作りたいものを、明確にもっていることの方が重要です。デッサン力は乏しくても、魅力ある作品を作るアーティストはたくさんいます。その一方で、デッサン力があれば、表現の幅が広がることも確かです。自分の引き出しの1つとして、デッサン力を伸ばすことは意義があることだと思います。