2010/12/22更新
有力総合大学と競い合う小さなDigiPen

ワシントン州シアトル市近郊のレドモンド市にあるDigiPen Institute of Technology(デジペン工科大学、以降DigiPenと記す)は、学生数250人の小さな2年制学校だが、アメリカのゲーム業界で高く評価されている。1988年にカナダ・バンクーバーに設立された同校は、1998年に現在の場所に移転してきた。この場所は、マイクロソフト社のキャンパスとよばれる本社施設が建ち並ぶところからほど近く、任天堂の現地法人Nintendo of America(NOA)の本社など、ソフトウェア関連の企業が集積している。

DigiPenは、正確には、アメリカの教育認可基準に基づいた大学ではない。プログラマ向けコースと、アーティスト向けコースの2種類しかない、ゲーム系教育に特化した私塾である。ちなみに、本格的なゲームコースをもったという意味では、全米初の学校でもある。それにもかかわらず、全米屈指の人気学校になっている。

アメリカでゲーム系教育プログラムを有する大学のランキングにおいて、総合大学の南カルフォルニア大学に続き、全米第2位の人気を集めている。この小さな学校が、カーネギーメロン大学や、ジョージア工科大学といった他の有力大学とも対等に競い合っている。旧校舎は、任天堂に隣接し、マイクロソフト社から支援を受けている点にも特徴がある。

旧校舎のロビー

DigiPenを成功に導いている要因は、数々の人材輩出に成功している点にある。近年、最もよく知られているのは、アメリカ Valve Software社が発売した「The Orange Box」(2007年、Windows、Xbox360、PS3)内の1つのゲーム「Portal」が、この学校を卒業して間もない学生たちを雇用して開発されたケースだ。一人称シューティング(※1)でありながら、空間にワープホールのような穴を開けて進んでいく、アクション形式のパズルゲームは、斬新なアイディアが高く評価され、様々な賞を総なめにしている。

※1 一人称シューティング(First Person Shooter):主人公の視点でグラフィックスが表示されるゲームのこと。

なぜ、そうした優秀な学生を育てることができるのかを知るため、7月にJETRO(独立行政法人 日本貿易振興機構)と福岡市によるクラスター地域調査のためにシアトルを訪問した際に、DigiPenを訪れ、校長的な立場にあるCOOのレイモンド ヤン(Raymond Yan)氏にインタビューを行った。ヤン氏は、小柄だが、強い印象を与えるカナダ系中国人だ。パワフルさをともなった聡明さが立ちあがってくるような雰囲気の人だ。ヤン氏が情熱的に教育について語る姿に、こちらもぐいぐいと引き込まれた。

DigiPenの強さは、1つの基本的なビジョンに支えられている。「基礎を積み上げ、失敗を積み重ね、体験を形作ることで、イノベーションを理解させる」というものだ。

普通の人でも「たくさん描く」人はうまくなる

ヤン氏は、元々3Dシミュレーションの研究者だったが、1990年にDigiPenにかかわった後、1994年に任天堂のアメリカでの開発子会社 Nintendo Software Technology Corporation (NST) で、NINTENDO64向けの任天堂製ゲームの開発に携わってきた経験をもつ。代表的なゲームに「Wave Race 64」や、ゲームボーイアドバンス用の「マリオvs.ドンキーコング」がある。そのため、宮本茂氏とも仕事をした経験がある。そして、2004年にDigiPenに戻り、同校の発展に貢献している。

ヤン氏は、「ゲーム制作を学ばせるためには、イノベーションを理解できるようにしなければならない」と述べる。「きれいな校舎や設備を整えても意味がない。深いレベルの制作プロセスをともなった、『体験』を積み上げることが大切だ」という。そして、アメリカにも多くのゲーム系コースが生まれたが、「多くの学校は、そのことを理解していない」と指摘する。

一般的に、学生は、数学や物理を理解することを目的とした授業を嫌がる。しかし、ゲームを作るという目標ができると違ってくる。DigiPenでは、高校生向けの教育プログラムも始まっているのだが、数学が理解できるとゲームを作ることができる、ということを教えると、学生は代数のような複雑なことでも喜んで積極的に学んでいくそうだ。

授業のようす

DigiPenでのプログラマ向けコースの授業構成は、数学、物理、コンピュータサイエンスの学習と演習の繰り返しだという。数学、物理、数学、物理、数学、物理と、とにかく基礎を叩き込む。一方で、アーティスト向けコースは、ひたすら描かせて基礎を叩き込む。最初は、ツールを触らせることもせず、週に50枚もドローイングを行わせるという。

それが、この学校の最初のステップだ。ヤン氏は「学習に近道はない」と強く言い切る。「30年前でも、2+2は4でしょう? 何も変わっていない」と、そこに本質があると語る。「DigiPenでは、学校ができてから、20年間、ベースとなるカリキュラムは変更していない」ともいう。

2009年の演習で制作された携帯電話

基礎力を付ける授業の例として、毎年、1年生向けに、ハードウェアをファームウェア(※2)レベルから作らせる演習がある。演習の課題は毎年変わる。2009年は、携帯電話を作るという課題だった。実際に、携帯電話会社のSIMカードを挿すと動作する携帯電話のハードウェアを組みあげ、ファームウェアをゼロから書いて動作させる。そこまで、深いレベルから作らせるのかと、正直驚いた。

※2 ファームウェア:電子機器の基本的な制御を行うために、ハードウェアに組み込まれるソフトウェアのこと。

イノベーションの本質は失敗しても続けるプロセス

廊下に張り出されている過去の開発プロジェクト

DigiPenでは、学生主導で数人のチームを組んで、様々な開発プロジェクトを行うことが推奨される。学内の廊下には、今進められている様々なプロジェクトについての情報が張り出されている。

「Portal」を作った学生チームの場合は、ゲーム自体の完成度はそれほどでもなかった。独自にゲームエンジンを作った技術力と、ワープさせるというゲームシステムのアイディアが、Valve Software社から見学に来たスタッフの目にとまり、新卒採用はしないというポリシーの同社にしては珍しく、「Portal」開発メンバー全員を雇用したのだという。ただし、それは輝かしい方の話だ。

大半の学生は失敗する。多くのプロジェクトが失敗して、何の実績も残らない。それでも、構わないとしている。むしろ、DigiPenでは積極的に失敗することを推奨しているのだ。ヤン氏は、「失敗することで、プロセスを学ぶことができる」と述べる。「失敗することで初めて、イノベーションの意味が理解できる。イノベーションは、95%が失敗する性質をもっている。5%が成功する程度の難しいものだ」という。

数多くのゲームを作らせて経験を積ませるということは、数多くの失敗を経験させることを意味する。当然ながら、失敗は、学生にとって楽しいことではない。しかし、「それを繰り返すことが必要」という。

「エジソンは、電球のフィラメントを作りあげるために、数多くの材質を試しました。そして、多くの失敗をしました。ゲームも本質は同じなのです。時代が変化しても変わらない深いレベルの理解をしてほしいのです。イノベーションを続けるのは大変なことであり、また、失敗をする覚悟が常に必要なのです」

そして、基礎ができあがることで、教えなくとも、ゲームデザインの力が自然と身についてくるという。

任天堂から学んだ数多くのこと

ヤン氏は、宮本茂氏と共に開発を行った経験から、「何が楽しい(Fun)のか?」にこだわり続ける姿勢など、多くのことを学んだという。

日本人は、イノベーションを行おうとして失敗し、苦痛を受けても、良くするように努力を続けるという。任天堂は、わずかなところにもこだわり、改善していく文化がある。それが成功し続けている理由だと見ていた。

「宮本さんは、プロセスを理解しています」

多くの学生は、ゲームのストーリーについて、すぐに話したがるという。マリオには、さらわれたピーチ姫をマリオが救いに行くという基本的なストーリーがある。しかし、「NINTENDO64で最初に登場した「スーパーマリオ64」は、3次元空間を、マリオを操作して動き回るだけで楽しかった。ストーリーでない意味が内側に秘められており、それを理解しなければならない」という。

「メタルギアソリッド」ではステルス、「リッジレーサー」であればドリフト、「Wave Race 64」であれば波にゆられる感覚。それらのものは、ストーリーとしては語ることができない「体験」だという。宮本氏は、開発する中で、そうしたものを形作るリズム作りを求めてきたという。

「アイディアは簡単に生まれる。大切なのは、そのディテールの方なのです」

ステーキハウスひとつ見ても、ステーキを味付けし、皿にのせ、お店としての体験を作りあげるまでには多くの選択肢がある。そのために、「シェフは様々なことに精通していなければならないものです」

ボードゲームの「モノポリー」とビデオゲームの「マリオカート」は、発想のベースが同じだという。どちらもプレイヤーは、同じところをぐるぐる周りながら、様々なイベントに直面する。「モノポリー」の場合はアナログのサイコロを使い、「マリオカート」の場合はコントローラを使うが、リアルタイムに他のユーザとインタラクションを行う点は共通している。ビデオゲームの場合「人の心を操作していくことによって、幸せにさせていくことが、中心になる」と述べる。

そのため、ゲームを作るうえでは、大きな企画書のようなものを作りあげることが大切なのではなく、「簡単なアイディアからでも、スタートして、どれだけ実践を行っていくのかが重要だ」という。

日本の大学からの見学者もたまにあり、ゲームの学校のあり方について相談を受けるそうだが、「なぜ、日本に任天堂という1番良い見本があるのに、そこから学ぼうとしないのかが不思議だ」と、苦笑された。

優れた人材教育がアメリカのゲーム開発力を引き上げた

2010/8/27に行われた新校舎オープニングセレモニー

ヤン氏によると「優れた人材が輩出できるようになると、企業が集まってきて、雇用が増加していく」そうだ。

現在、学生の60%はワシントン州以外の地域から来るが、90%はシアトル周辺地域の企業に就職していくという。マイクロソフト社や、任天堂、「Halo」シリーズで有名なBungie社などの地元企業に就職していく。ゲーム会社だけでなく、ボーイング社や、ルノー社のF1シミュレーター開発など、他の分野で仕事をしていく人も出ている。

ヤン氏は、「2000年頃のアメリカのゲームはできが悪かった。しかし、今では世界トップになっています。それは学生が学ぶ努力をしたことで、人材のレベルが上がっていったからです」と、現状を見ていた。

一方で、アメリカも日本と同様に、理系離れや学生の教育レベルの低下が深刻な問題として叫ばれている。

「アメリカの学生は必死に学ばなくなっています。単なる消費者になっています。アメリカが崩壊するとまではいえないでしょうが、欧州やアジアに中心が移っていくということは起きるでしょう」

DigiPenは、2008年に政府からの強い招致を受けてシンガポールに進出し、2010年からスペインにも進出した。レドモンド市の学校は今までの1.5倍のサイズの新校舎に移り、2011年には社会人も受講できるコミュニティカレッジの機能と、高校のコースをスタートさせる予定だ。

ただし、自分たちの学校を運営していくうえでも、「スピリッツを理解することなしには、普通のビジネスになってしまい失敗する」と述べた。それぞれの学校は、お金のないところから、すべてを立ちあげていった。教える側もまた、「スピリッツ」をもって挑んでいる。

2010年の時点で、アメリカのゲーム産業には、レベルの高い人材を育てる環境が、1つは教育機関を中心にできあがった。そして、それは世界へとネットワークを広げようとしている。

私の知りうる限り、日本には、ここまでパワーのあるゲーム教育に特化した学校は存在しない。ヤン氏の言葉を受けながら、課題は、制度なのか、スピリッツなのか、学生の意思なのか……何かがかみ合っていないように思える日本の教育事情のことを考えずにはいられなかった。