2010/10/27更新

2Dのデジタル画像をうまく描けるようになるには、どうすれいいだろうか。イラストに特化したソーシャルネットワークサービス(SNS)のpixiv(ピクシブ)を育ててきた代表取締役社長 片桐孝憲氏は、ずばり2つをあげる。

「たくさん描く」と「たくさん見る」である。

お絵かきが楽しい場所を作ることを目的としたpixiv

pixivは、2007年9月にベータ版としてスタートしてから3年を越えた。「お絵かきが楽しい場所を作ること」をミッションとする、会員数230万人、月間アクセス数18億ページビューの、人気の特化型SNSだ。

より抜きの作品が『pixiv年鑑2010オフィシャルブック』(エンターブレイン)などの作品集としてもまとめられるなど、2Dグラフィッカーの登竜門として、プロの世界からも注目を集めている。

片桐氏によると、pixivの参加ユーザは「10代後半から、20代前半が最も多く、20代後半になると減少する」そうだ。社会に出てしまい「絵を描く時間が減ってしまうからではないか」という。一方で、登録ユーザの7割が見るためだけで、自分では投稿しない人たちだ。ライブハウスが、アーティストと観客によって盛り上がるように、見るだけの人が多いということは、「pixivに投稿されているイラストの質が高い証拠」と胸を張る。

普通の人でも「たくさん描く」人はうまくなる

片桐氏は、運営を続ける中で、「普通の人がこんなにうまくなるんだ」としばしば驚かされてきたという。そういう人には特徴がある。大量に投稿するのだ。1日1枚のペースは普通で、少なくとも2日に1枚。そのペースで描き続ける人が、着実に伸びる人だという。

これは人気のある人でも変わらない。pixivでは、人気の指標を示すバロメータともなる、ランキングがトップページに表示される。とくに毎日変わる「デイリー」は激戦区で、1位、2位を取る作品は、商業用イラストと遜色ないレベルだ。複雑に計算された構図、描き込まれた背景、鮮やかな色彩など、見ごたえがある。ところが、こうしたトップクラスの人たちでも、手が早い人は、「1時間ぐらいで描く」という。

片桐氏に「pixiv新旧デジ絵比較」というタグを見てほしいといわれた。こういったタグを、投稿者は自分のイラストに自由に付けることができる。検索すると、4,100枚以上の様々な画像が現れる。投稿者が、どれぐらいうまくなったのかを比較するために、かつての自分のイラストと、最近の自分のイラストを合成した画像だ。多くの投稿者が、かつて自分が描いたキャラクタを再度描き、比較している。着実にうまくなっている人が多い。

たとえば、ある東方シリーズのキャラクタを描いている人は、「ちょうど2年前の10月に初めてデジ絵を描きました」と自分のイラストを紹介し、2年の間に描いた6枚の同じキャラクタのイラストを並べて比較できるようにしている。最初のイラストは、アナログでペン入れした線画をスキャンして、フリーソフトで着色したものだ。デッサンが狂っていて、絵として褒めるのは難しい。その後、2年あまりで100枚以上のイラストをアップロードし続け、その間にソフトウェアがPhotoshopに変わっている。最近描かれた作品は、別の人が描いたかと思えるほどに、うまくなり、センスも感じられる。

生まれつきの天才はいない。練習量がうまさに比例する

筆者が、たくさん描く人がうまい、という話を聞いて、すぐに思い出したのがアメリカのサイエンスライター マルコム・グラッドウェル氏の『天才!成功する人々の法則』(講談社)で紹介されている心理学の研究だ。有名な「1万時間の法則」である。

ここ30年、心理学の研究者たちは「生まれつきの才能はあるか?」という疑問に挑んできた。答えはイエス。ただし、調べれば調べるほど、もって生まれた才能よりも、「練習量」がより重要な役割を担っていることがわかってきた。

1990年代の始めに、心理学者のK・アンダース・エリクソンはベルリン音楽アカデミーで学ぶバイオリニストを3つのグループに分けた。第1に、世界的な独奏者になれる可能性をもつグループ。第2に、優れている、という評価にとどまるグループ。第3に、プロになれそうにないため、音楽学校の教員を目指すグループ。これら3つのグループを比較すると、決定的な違いが発見された。どの学生も、バイオリンを学び始めたのは5歳ごろだったが、その後に大きな差があったのだ。練習時間の量である。第1グループの学生は、20歳頃には、うまくなりたい一心で、強い決意をもって、週に30時間以上も練習していた。そして、その頃には1人あたりの練習時間の合計量は、「1万時間」を越えていたのだ。それに対して、第2グループの学生は8千時間、第3グループの学生は4千時間を少し上回る程度だった。この研究では、「生まれつきの天才」を見つけ出せなかった。才能があるため、他の人よりも少ない練習時間で、楽々とトップになっている人はいなかった。また、練習時間が多いのに、トップクラスに入る実力のない学生もいなかった。

グラッドウェルは「調査は、一流の音楽学校に入る実力を持つ学生がトップになれるかなれないかを分けるのは、『熱心に努力するか』どうかによることを示していた」(P.47)と書いている。

この1万時間という数字はその後、様々な調査で確かめられている。作曲家、バスケットボール選手、小説家、アイススケート選手、コンサートピアニスト、チェスの名人、大犯罪者など、どの調査でも現れるという。

ゴッホがゴッホ風になるまでに、3年かかっている

筆者は、イラストレータについての調査が存在するかどうかは知らないが、多分、同じであろうと考えている。

フィンセント・ファン・ゴッホの場合、初期作品の画風がゴッホらしく成熟するまでに、3年あまりかかっている。ゴッホには明らかに才能がなかった。ゴッホは、1880年、27歳の時に画家になろうと決心する。しかし、決心した当時に描かれた『大工』(1880年)は、身体のバランスがめちゃくちゃで、立体感もない。将来どういう絵に成長するのかがまったく見えない、ただのひどい絵である。その後、ゴッホは気が狂ったように毎日書き続けた。2年後に描かれた『嘆く女』(1882年)の頃には、パースが狂ったままではあるが、ゴッホ独自の画風が登場し始める。3年の間に、確実にゴッホは上達し、独特の魅力を作品に与え始める。そして、印象派画家として花開くのは、パリに移住して、他の画家と刺激し合う1886年以後である。

絵がうまくなりたいのだとすれば、答えは簡単である。「圧倒的な努力」しかない。毎日、イラストを描いて投稿し続ければ、確実に技術力は向上するのだ。

ヘビーユーザほど、イラストを「たくさん見る」

片桐氏は、pixivではヘビーユーザほどイラストを「たくさん見る」という。うまくなるためには、うまいイラストをたくさん見ることも必要なのだ。

片桐氏は、パリ滞在時、現地の寿司屋に行ったことを1つの例として話した。パリの寿司屋はまずかった。そして、それはなぜかと考えた。うまい寿司を食べていれば、職人もうまくなろうとするだろう。しかし、「パリでは比べる相手があまりいないのではないか?」と考えた。パリの寿司屋は日本に比べて競争相手が少ない。だから、水準が上がらない。

イラストでも同じことがいえると考えているようだった。うまい人が育つためには、「うまい人がたくさんいる環境が重要」という。

うまくなる人はpixivに長時間滞在し、たくさんのうまいイラストを見て、刺激を受け、自分のイラストに反映するのだろう。pixivにアクセスすれば、多くの新しいイラスト、うまいイラストを見ることができる。その機会の多さは、ゴッホの時代とは比較にならない。

世界のどこに住んでいようが、日本の最先端のイラストを見ることができるのだ。事実、pixivにアクセスするユーザは世界中にいる。言葉の壁があるにもかかわらず、ユーザの約10%は海外在住者だ。言葉の壁を越えてくるほど熱心なため、「イラストの投稿率も高く、またレベルも高い」という。

だから、「コミュニティは超重要」だと、片桐氏は語る。運営者として、多くの人が楽しく刺激しあえる環境を作る重要性を強く意識していた。

フィードバックをもらえると、投稿が圧倒的に楽しくなる

pixivでは、「初投稿(入口)でやめてしまう人が少なくない」という。投稿後に、評価やコメントが何も付かず、無反応であった場合、つぎの投稿をやめてしまう人が多いそうだ。「投稿した人はイラストを通じて、ある意味、自分の理想を描く。自分の理想を人に見てもらえるように公開することは、恥ずかしすぎること」だと片桐氏はいう。投稿への反応がないということは、その理想がダメだといわれたのに等しいと受け取り、「自信をなくしてしまう」そうだ。そうならないように、pixivのしくみを工夫しているという。

pixivには、直接的、間接的を含めて、投稿者が何らかのフィードバックを感じられるしくみがたくさん付けられている。それぞれのイラストには、閲覧数、評価回数、総合点という基本的なパラメータがある。総合点は、イラストを見たユーザが10点満点で評価できるシステムで、おもしろいのは平均点ではなく、積算点になっていることだ。つまり、増加しかしない。

片桐氏は「あまりネガティブなことができないようにしている」という。コメント欄もそれぞれのイラストを表示させた後に、さらにワンクリックしなければ見ることができない。それが抑止効果をもつ。

1度フィードバックをもらえると、投稿が圧倒的に楽しくなる。そして、参考にできる多くの投稿者たちと一緒に、用意された様々なコミュニティ機能に巻き込まれながら上達していく、ポジティブなスパイラルが待っている。

世界中に日本のお絵かきを広げたい

pixivでは、11月14日(日)に開催する、初めてのワークショップ「pixivクリエイション」の企画を進めている。イラスト制作ツールの使い方や、同人誌の作り方を学べる勉強会などが催される予定だ。「多くの人が絵を描き始めるキッカケになればいい。描くことをやめてしまった人が、もう1度描くようになってほしい」と片桐氏は語る。

今後は、pixivを通じて、Webサイト上で、絵の描き方をプロが教えるような企画も考えているという。

「日本向けのサービスでありつつ、海外にも広げていくことで、海外の人にもお絵かきを広げていきたい。日本には、イラストの描き方についての最新ノウハウがある。それを発信することで、世界中を絵描きだらけにしたい」と片桐氏はいう。

後の時代から振り返ったときに、pixivは「印象派」のような何かが生まれた場所だった、と評価される存在になっているかもしれない。