2010/09/01更新
ライティング技術への開眼
James氏の音の研究への"開眼"そのものは、同氏がPai氏のもとから巣立ったのちに 自らの手で引き起こされる。そして音への開眼の前兆となったのがライティング技術への開眼だった。リアルタイム変形シミュレーションの研究を長らく続けてきたJames氏は、2002年に発表された"Precomputed Radiance Transfer(PRT)"というリアルタイム大域照明の手法に非常に大きな関心を抱いた。CGの照明は、大きくは直接照明(光源からレンダリングする地点に直接到達する光)と、間接照明(光源を発してシーン内で反射を繰り返したのちに、レンダリングする地点に到達する光)に分けられる。間接照明まで含めるとレンダリング結果のリアリズムは遥かに向上するが、計算負荷が非常に重くなる。このため、それまでのリアルタイム・レンダリングでは間接照明は含めない(もしくはシンプルな計算でこれを近似する)という方法論がとられてきた。

PRTはこのような方法論を覆した最初のリアルタイム・レンダリングの手法ともいえる。もう少し具体的に説明すると、この手法ではいくつかの光源配置の基本パターンから生み出された間接照明が、どのようなエフェクトを作り出すかというメカニズムをレンダリングに先立って前計算しておく。前計算そのものはけっこうな時間を要するが、1度前計算をしておけば、その後のシーンのレンダリングは、ライティングに応じて前計算の結果に重み付けをして足し合わせるだけとなる。このような単純な計算であれば、リアルタイムに行うことができる。前計算する光源配置の基本パターンを、球面調和関数というものを用いて表しているところがこの手法の要で、これが最終レンダリングの計算を(GPUにも適した形で)単純化するために大きく貢献している。

少し話しは脱線するが、この手法は映画『AVATAR』にも活用され、SIGGRAPH2010で披露された活用方法や映像メイキングのプレゼンテーションは幅広いジャンルの人々の間で大きな話題となっていた。

PRTに大きな潜在能力を感じたJames氏は、PRTが発表された年に早速その方法論を新たな変形シミュレーションのアルゴリズムに取り入れ、翌年のSIGGRAPH2003で発表した。この手法では、変形シミュレーションを"静的な変形シミュレーション"と"動的な変形シミュレーション"とに分けて考えている。"静的な変形シミュレーション"とは、外部からの刺激などを受けない状態の物体形状を計算するシミュレーションのことを指している。レンダリングでいえば、ちょうど直接照明が作り出す効果を計算する工程に相当する。この手法では、市販の3DCGソフトウェアのシミュレーション機能などを用いて大雑把に物体形状の計算を行っておく。一方の"動的な変形シミュレーション"とは、外部からの刺激に応じて作り出される物体各部分の変形を計算するシミュレーションのことを指している。レンダリングでいえば、ちょうど間接照明が作り出す効果を計算する工程に相当する。

したがって、この手法ではPRT同様に刺激の基本パターンに対して、物体各部分で作り出される変形の度合いを時間軸にそってプロットしておく。1度このような前計算を行っておけば、最終的な変形シミュレーションでは、前計算でプロットされている変形の軌跡に重み付けをして足し合わせるだけで、ユーザが与えた任意の刺激に対する物体の変形をリアルタイムに算出できる。この論文ではさらに、こうして作り出されたアニメーションデータをもとにしてPRTの計算も行い、リアルタイムに間接照明の影響まで考慮したレンダリングを実行している。この手法の要は、変形の前計算とレンダリングの前計算とが同時進行で行われているところにある。その結果、物体の形状の変化と色の変化とがきっちりとシンクロナイズしたアニメーションが生成されている。

この論文の手法的な意義は、PRTのコンセプトをダイナミクスシミュレーションに導入したというところにある。ただしJames氏本人にとっては、物理シミュレーションを動き以外の要素と融合させることに開眼したところに、大きな意義があったといえる。