兼六園は加賀藩の庭園として造成されたもので、もともと金沢城の外郭として城の一部という扱いだったのだそうです。現在の状態に近い形になったのは13代藩主の頃。あくまでも藩主の私的なお庭ですから非公開でした。
一般公開されるようになったのは明治に入ってから。それも最初は日時を限っての公開でした。一時期は、無料で、しかも24時間開放されていたのですが、維持費がかかること、不審者によるいたずらで貴重な施設が破損したことなどから、有料&時間を限っての公開になったのだとか。
明治維新後、軍の施設として使われたり火災に見舞われたりで、もともとあった施設はほとんどなくなってしまいました。
現在は、残されたさまざまな文献を資料として復元作業の真っ最中。1999年から始まった第1期工事が始まり、いまは第2期工事中。さまざまな施設や設備が復元されつつあります。2008年には、国の史跡にも指定されています。
お城というのは、つまりその国を守るための要塞です。当然のことながら、金沢城も例外ではありません。いざとなれば立てこもって敵を防ぐことを前提につくられています。
例えば瓦。これは当時、鉛でつくられていたのだそうです。なぜ鉛かというと、立てこもった際に鋳潰して鉄砲の弾丸にできるから。
ただし、金沢城はお城としてはあまり堅固なものではなかったそうで、立てこもるのは最後の最後の手段だったとか。むしろ、城下町の中にお寺のような施設をいっぱいつくり、そこを拠点として迎え撃つつもりだったのだそうです。
金沢城の歴史を簡単に年表形式でまとめるとこんな感じです。
1546年 空堀と柵を備えたお寺として始まる。
1583年 前田利家が城主として入城。
1602年 落雷で天守閣を焼失。
1759年 大火に見舞われる。
1873年 陸軍省の所有に。
1949年 大学のキャンパスとして利用が始まる。
1996年 石川県が国から所有権を取得。
1999年 第1期の復元工事が開始。