余白書店

書き込み、線、折り、しみ…。以前の持ち主が残した「手垢」や本の経年劣化など、一般的には「負荷価値」と見なされ排除されてきたフィ ジカルな痕跡が創造的に転化されている(さりげなくも鮮やかに!)。AmazonやTumblrという既存のシステムに静かに介入することで、無意識的かつプライベートな各人の思考やふるまいをログとして搭載した本は、パブリックな循環の回路を獲得する。このプロジェクトは、本のデジタル化(出版・流通) やソーシャルネットワークなど、私たちの日常を急速に変えつつあるシステムに浸入することで、それらの意味や価値を問いかけると同時に、「本」や「コミュニケーション」というものの本質へと斬り込む「余白」を開示した。
(四方幸子)

本に記されるのは、その本の書いた文章だけでないということなのだろう。その本の作者が書いた物語と別のところで、本はその持ち主の生活や思考だったり、本そのものの老いも、記憶のように、余白に記し続けていく。そんな、本自体が記憶していった物語を売る書店なのだと思う。その物語は、本来誰かに見せるために記されたのではない、とてもプライベートなものだ。また、それは誰かに見られることが前提となっていない、生で未成熟な物語でもある。それをこうして愛でるのは、何か見てはいけないものを見ているような、そんな背徳感もある。この作品は、一見するととても詩的で美しい作品に見えるのだけれども、一方でその美しさと紙一重のところに、そんな背徳感やエロティシズムがある。そこが素晴らしいと思う。
(谷口暁彦)

図書館で本を借りたり古書を読むとき、既に大切な部分に線が引かれていたり、ドッグイヤーされていることがある。本を通じて起きる自分と、過去にその本を読んだ誰かとのコミュニケーションは、「既読」とマークがつくメッセージアプリよりもずっとソーシャル的で、私たちが日常接しているSNSなどの感覚に近いのではないだろうか。電子書籍やOCRされたテキストから抜け落ちてしまうこの余白の部分が、意外なことにSNS的だった。そんなことに気付かされて、やられたなぁと思いつつ、それがさらにAmazonの古書販売サーヴィスであるマーケットプレイスで販売されている状況の絶妙さにもグッときてしまった。コンピューターの世界が大きくなればなるほど、こういった余白は増えていくのかもしれないが私たちはそこになかなか気が付くことができない。こういう自明なことにも気がつける視点を持ってさらにいろいろなプロジェクトを提案してもらいたいと感じた。
(萩原俊矢)

内田 聖良(作者/代表者)、余白工事の会(石幡 愛・小林 橘花)(共同制作者)
情報科学芸術大学院大学[IAMAS]
ウェブ(古書店)
作品掲載サイト