金魚解放運動

芸術作品が持つひとつの存在意義として、現代社会が抱えている多種多様な問題を、ひとつの作品として抽出し提示することが挙げられると思う。そう言った意味でこの作品は遺伝子組み換え食品やデザイナーベビーと言った今ホットな議論を呼んでいる問題に向き合った作品と言えるだろう。これらバイオテクノロジーが持つ生物学的問題や倫理的な問題に対して今この場で答えを出す事は出来ないが審査中も議論を呼んだのは事実である。19年経った学生CGでこのような作品が受賞することは実にエポックメイキングな出来事だと思う。
(原田大三郎)

実際のところ、金魚の民意というか、金魚の気持ちとして、彼らはフナに戻りたかったのだろうか?僕らは金魚はおろか、同じ人間でも他人の気持ちを完全に理解することはできない。とはいえ、僕らは怒りたくて怒ったり、笑いたくて笑うわけでではない。それは常に自分の意志の外部からやってくる、何か出来事がきっかけになっているはずだ。だから、人の気持ちはその人の中に全てがあるんじゃなくて、その気持ちのいくらかの断片が、その人の周りの環境に点在しているんじゃないか。だから、金魚を飼っているひとは水槽を時々掃除したり、水草の手入れをしたりする。でも交配する相手を、自分の意志とは無関係にある大きな目的のために指定される事について、金魚はどう思うだろうか?僕が妻と出会い、そして結婚するまでの流れの中に、どれだけ自分の意志が反映されていて、どれくらい自分の意志以外の、偶然やランダムさが働いていたのかなんて全然わからない。そんな事を指定したり操作できるのは神様くらいのものだろうが、別に金魚にとって人間が神みたいな存在だと言いたいわけではない。そこにそういった階層はなくて、単純にそれぞれが生きている時間や空間のスケールが違うから、お互いに与える影響や関係性が違ってくるということだ。大きな動物が普通に歩くだけでアリみたいな小さな生物は何匹も踏みつぶされてしまうし、逆に小さな細菌やウィルスの通常の生の営みによって大きな動物が死んでしまう事もある。そういうものだ。果たして、僕らはそういったスケールが違うことによる、(ときに残酷な結果に繋がるかもしれない)影響や関係性を、どこまでコミュニケーションとして捉える事が出来るだろうか?
(谷口暁彦)

人工生命や遺伝子組み換え食品などテクノロジーの発展によって、「命」すら人為的に操作可能になっている昨今だけれど、よくよく考えてみれば昔から行われている品種改良もその1つ。さらに中でも、愛玩動物として人為的につくられたという長い歴史を持つのが金魚である、ということ。普段自然なものとして感じている対象が、実はある種の人工物である、というヤバさに気づかせてくれたのが本作でした。金魚を「野生」に戻すために、人為的につくられた命をさらに人為的に手を加えフナに戻すというコンセプトが魅力的です。技術的な考察もしっかりと行われており、またこの運動の意義とおもしろさをしっかりとプレゼンテーションできているため、誰しもが興味を持てる形になっていることが、特に評価したいと思わされたポイントでした。
(武田俊)

石橋 友也
早稲田大学大学院
バイオアート