コーポにちにち草のくらし

私たちは、この世界で起こる全ての出来事を気に留めることは出来ず、目の前に起こる事すら幾度となく見逃し続けて生きている。歩いているとき、道端に落ちている小石に気がつかず、蹴飛ばして通り過ぎる人もいれば、「きれいなカタチをした小石だ」と珍しがり、拾って宝物にする人もいる。多くの人が見落としてしまうような小さな出来事を、そこに存在する感情を、そっと愛でるように気づかせてくれる物語なのだと思う。最後に、ある奇跡が起こる。いや、何も奇跡は起こってはいないのだろう。しかし、心の奥底にしまっていた大切な感情を思い出すことは、きっと小さな奇跡なんだと、そっと気づかされた。
(水江未来)

こうやってキーボードを叩いている間にも、たとえば自分の親はわずかながらも確実に死に近づいていってしまうし、一緒に過ごした時間も遠ざかっていってしまう。じゃあと言って、そうしたことに真剣に向かい合おうとしても、自分は時間を巻き戻したりするようなドラスティックな解決策を持っているわけではないので、すぐに金縛りにあったように何もできなくなる。そして「仕方ない」などとエクスキューズし、知らず知らずのうちに自らの感覚を鈍らせ、これまでと同じ日常が流れ始めていく。この作品が突きつけてくるのは、感覚を自ら鈍らせてしまった自分の姿だ。だからといってこの作品は、時間とともに目の前で変化していくものに対して真剣に向かい合うことを教条的に説こうとはしない。いまのところ「仕方ないよね」と肩をそっと叩いてくれている。
(渡邉朋也)

これまでにないほどの多くの手法を一つの作品に散りばめながら、しっかりとした表現力をもって作品としての完成度を保っている。個性的なキャラクター設計を生かした擬人化した物語が見る人を引き付ける作品となっている。
(谷口充大)

若井 麻奈美
東京藝術大学大学院
アニメーション