2010/09/08更新

音を描き出す夢の実現 ~前編~

サウンドレンダリングの産業での実用化への挑戦
James氏の正確な年齢は心得ていないが、ストレートで進路を進み2001年に博士号を取得した後、2006年よりコーネル大学のAssociate Professor(日本の大学における准教授)となり、2009年からサウンドレンダリングのプロジェクトを任されていることを考えると、きわめて若くしてCGの研究では老舗といわれるコーネル大学の要職に就いたことになる。「おめでとう」とメールすると、穏やかな文面ではあるものの、どこかしら冴えない表情を思わせるメールが返ってきた。目下のところ、サウンドレンダリングの実用化という局面で思いのほか苦戦していることが、冴えない表情の原因のようだった。

James氏の研究室は、ダイナミクスシミュレーションなどの研究においては、映画業界のプロダクションと提携して研究を進めており、すでにいくつかの研究成果が映画プロジェクトで用いられている。そこで今回のサウンドレンダリングの研究成果に関しても、まずはこれまでになじみのあった映画業界の各社に声をかけてみた。具体的にはピクサー社、ILM社、ルーカスサウンド社などだ。James氏自身も、サウンドレンダリングの映画における実用化が決して容易でないことは重々承知だったが、思いのほか手厳しい反応に、かなり落胆したようである。どうやら各社共に、レコーディングした音を使用するというこれまでの方法論を変える意志は全くないといった様相らしい。「これはちょうど40年前に、3DCGのパイオニアが伝統的な2Dのアニメータを前にして3DCGの意義を説得していたのと同じ光景だと思う。革命が起きるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ」と、いささか悲観的な感想が送られてきた。

しかし、総合的にみれば、James氏が率いるサウンドレンダリングのプロジェクトは、すでにその歴史にこれまでにはあり得なかった新たな足跡を残してきている。とりわけごく一般的な人々の間でサウンドレンダリングの話題性や知名度を高めたことの意義は大きい。SIGGRAPH2010にサウンドレンダリングの論文セッションが登場したところにも、そういった話題性や知名度の高まりが大きく影響しているのだ。James氏自身「今ここで悲観的になっている余裕はない。まずは映像とシンクロナイズしたリアルタイムな音の自動生成をより近接した未来で必要としている産業をターゲットに、その実用化を進めていきたい」と語っている。ゲーム業界などはその筆頭にあたる。SIGGRAPH2010では、日本のゲーム開発者らとの議論も楽しんだようだ。実用化の可能性をあらゆる局面から積極的に探ろうとする姿勢がとても印象的だった。

理論の考案者自身がその実用化に積極的な場合、理論が実用化にいたるまでの期間は著しく短縮されることを、筆者はこの10年間で目の当たりにしてきた。イメージベーストやサブサーフェース・スキャタリングなどのレンダリング技術、CG流体シミュレーションの技術などはその代表例といえる。もちろんサウンドレンダリングの場合には、伝統的なCG技術と比較して、その実用化においては遥かに大きな規模のチャレンジが必要とされそうだ。だが、CG技術は常に「起こりえない」と人々が思う魔術のような現象を可能にするところにその醍醐味があった。魔術を駆使する領域が次第に狭まりつつある今、それを行える環境にあることはきわめて恵まれたことである。

こういった研究開発の意義を自分のもとで学ぶ人々にしっかりと伝えたいというのが、James氏が目下考えていることのようだ。産業における実用化は、説得力をもってその意義を伝えるための最も有効な手段でもあるといえよう。James氏の挑戦はまだ始まったばかりだ。大きな夢の実現へと向かうその挑戦の行方を暖かく見守ってゆきたい。