2011/03/09更新
前代未聞のCGトレンド

CGというものは、常にトレンドと背中合わせだといってもよい。現在CGの王道といわれている分野も、それが発祥した時点では、その時代のニーズに合ったCGのトレンドとして現れたというケースが実に多いのだ。第3回で紹介したCG流体シミュレーションも、1990年代後半から21世紀初頭にかけてCGの分野に現れた、1つの大きな技術トレンドたった。流体シミュレーションのみならず、この時期にはモデリング、アニメーション、レンダリングの各領域において、技術的に著しく大きな躍進が見られた。そしてその勢いが少し静まった頃に現れたのが、“GPU”というトレンドだった。“GPU”という文字が出てこないとその論文は時代遅れだと言わんばかりに、CGのあらゆる研究分野が積極的にGPUの概念を取り込もうとした。だが、GPUの概念を取り込むことが当たり前になり、理論が期待しているものにハードの進化が追いつかないという局面が出て来ると、火が付いたようなGPU賞賛の騒ぎも次第に鎮まっていった。

それに代わるものとして現れたのが、“Computational Photography”というトレンドだった。流体シミュレーションやGPUなどとは異なり、Computational Photography というテーマは非常に抽象的だ。“Photography”という単語が末尾に付いているだけに、写真を使って何か新しいことをしでかしてやろうという心意気は感じられるものの、一体何がどう新しいのか、具体的にイメージできる人は少なかった。逆に言えば、その幾分とらえどころのないニュー・ワードゆえに、好奇心旺盛な人々が集まるCGという分野のトレンドになりえたのかもしれない。2005年、2006年のSIGGRAPHで開催されたComputational Photographyのコースは大盛況を博し、ついにはComputational Photography というタイトルの論文セッションまで登場するようになった。とらえどころのないニュー・ワードとして登場したトレンドが、新たな1つの研究分野としての市民権を得たというのは異例のケースだ。そして、このような前代未聞のCGトレンドの最大の立役者と言えるのが、今回紹介するRamesh Raskar(ラメッシュ・ラスカー)氏なのだ。

バーチャル・リアリティからアートまで~広範囲な守備領域

Raskar氏の出身はインドである。インドで最も由緒ある工科大学と言えるCollege of Engineering, Puneでロボット工学を学んだ後に、博士号取得のためアメリカに渡り、1995年から2000年までUniversity of North Carolina at Chapel Hillで、コンピューター・ビジョンとコンピューター・グラフィックス(CG)を学んだ。この間の研究は、バーチャル・リアリティからフォトリアリスティック・レンダリング、さらにノン・フォトリアリスティック・レンダリングに至るまで、非常に広範囲な領域をカバーしていた。そしてこのような広範囲な守備領域を保持したまま、Raskar氏ならではの方法論を見出してゆくことになる。

その方法論の1つが、プロジェクターを活用した画像生成だった。1995年から2000年と言えば、ちょうどCGレンダリングの分野でイメージベーストの技術が花開いた時代だった。Raskar氏はイメージベースト・レンダリングの手法に大きな関心をもっていた。基本的に、イメージベースト・レンダリングでは写真を用いて物体の3D空間での見え方は復元できるものの、物体と光の干渉を復元することはできない。Raskar氏がプロジェクターを用いたアプローチに着目した理由は、プロジェクターの設定に様々な工夫を凝らすことによって、高い自由度で、光と物体の干渉を復元できると考えたところにあったようだ。博士課程修了後、MERL(Mitsubishi Electronic Research Laboratory)に加わったRaskar氏は、プロジェクターを用いたアプローチを画像生成や各種のセンサーと結びつけた様々な手法を発表していった。さらに、これらの手法をカバーしたSIGGRAPHのコースも開催した。なかでも異色の手法と言えるのが、2001年に発表された“Shader Lamps”とよばれるものだった。この手法のコンセプトは、着色されていないクレイモデルを複数のプロジェクターで照らすことによって、あたかもクレイモデルが独特の色と質感をもっているかのような画像を生成できるところにあった。実際には、この作業を置き換えるレンダリング・パイプラインを作り出して、最終的な画像生成はCGレンダリングによって行っている。

"Shader Lamps"
(Ramesh Raskar, Greg Welch, Kok-Lim Low, Deepak Bandyopadhyay,
Eurographics Workshop on Rendering 2001)
左:着色していないクレイモデル
右:複数のプロジェクターを用いたライティング環境下でのクレイモデルの見え方を、CGレンダリングによって生成したもの

また2007年には、動いている物体に取り付けたセンサーに向かって、コード・マスクで覆われたプロジェクターで光を当て、物体の動きを高速に復元するモーションキャプチャー・デバイス(Prakash)も発表した。コンピューター・ビジョン分野の方法論を活用しつつ、アーティスティックでエンタテインメント性の高い視点に立ったフレームワークをも開拓してゆくという姿勢は、その後のRaskar氏の研究姿勢にも共通していると言えそうだ。

"Prakash: Lighting Aware Motion Capture using Photosensing Markers and Multiplexed Illuminators"
(Ramesh Raskar, Hideaki Nii, Bert deDecker, Yuki Hashimoto, Jay Summet, Dylan Moore, Yong Zhao, Jonathan Westhues, Siggraph2007)
Prakashの構造は、プロジェクターの前面にグレイコード・マスクを設置したものとなっている。動いている物体に向かってグレイコード・パターンを投影することによって、物体に付けたタグ・センサーの位置情報を取得することができる。