大学・企業現場リポート ディジタル最前線

Vol.6 質感を見て、触って、脳で感じる。日本発の感性情報技術を。

布の質感を精密かつ立体的に再現できるシミュレーターを開発


CGでは、たとえば肌のしわや皮膚のたるみ、濡れてヌメヌメしたものなどは、金属やプラスチック、ガラスといった硬い材質ものに比べ、その質感を表現するのはかなり高度な技術がいる。同じように、布や服は軟らかく複雑な織り構造をもち、見る角度によって微妙な陰影が生じる材質のため、質感表現するのがとても難しく、CGの最先端テーマの一つになっている。というのも、布は光の当る角度によって反射率や拡散具合が変化する「光学異方性」があり、この異方性を数学で表現するのが難しいためだ。

実際、現在のコンピュータを用いた織物設計支援ツールの多くは織物を平面的に扱ったCADであり、色柄はデザインできても、布の光沢感や立体感という質感までは再現できておらず、才脇直樹助教授見る角度を変えた時の質感変化も確認できない。また、研究レベルでは織物の立体構造シミュレーションを扱ったものもあるが、織物内部で糸が織り込まれている様子をいろいろな角度や大きさを変えて見られる段階で、光沢感などの質感は考慮されておらず、現実の布の高精彩可視化には結びついていないという。

この布の質感表現を研究し、デジタルファッション株式会社、立命館大学情報理工学部と提携して、3DCGによる「人を魅了する質感の再現」をテーマに、椅子やカーテンの生地、服飾生地などの織り構造や編み構造を繊維1本1本のレベルに遡ってシミュレーションできる「布の質感シミュレーター」の開発に取り組んでいるのが、奈良女子大学でヒューマンインタフェース関連の情報科学を専門とする才脇直樹助教授である。

才脇助教授は研究の背景を「いまファブリック業界では、新製品の開発にあたって、メーカー側デザイナーと生地製作職人の間で綿密な打ち合わせを行ったうえ、職人がどんな組織でどんな機種、どの糸を選ぶかの織物設計をして試織を行い、織り上がりの形状を確認していきます。1回の試作でメーカーのニーズに副う製品が完成することはなく、何度も何度も試作を繰り返すわけです。この時間と手間、コストはばかになりません。CGで完成品の質感まで確認できれば、試織の必要がなく、試行錯誤する時間と予算の無駄を軽減できます」と語られる。

96個の織布サンプルで、布の三次元要素と質感の関係を分析

開発に当ってはまず96個の無地の織布サンプルを用意し、織りの立体構造を光学顕微鏡と実体顕微鏡を用いて観察。無地にしたのは、プリントや染め柄だとその柄や模様の視覚的効果が大きくなって布の織り構造から生まれる表面効果が判断しづらいからという。

「96個の織布サンプルの織物組織や織り密度、糸の種類や断面形状、太さ、繊維分布、糸の撚りの本数や方向、強さといった三次元構造の要素を観察していくわけですから、ここはまさに人海戦術で行いました。繊維の断面と糸の断面、布地の断面はそのままでは観察できませんから、樹脂加工してから観察しました」と才脇助教授。

観察した結果、たとえば、糸の撚りが強いと織った布は光の表面反射が大きく光沢があり、逆に撚りが弱いと柔らかで毛羽が多く、布表面の光沢が減るという。また、紡績糸で織った布は立体感が出て光沢が減り、フィラメント糸で織った布は織ると繊維束の流れが整って滑らかでつややかな質感になるという。こうした布の三次元構造の要素と質感の関係を調べたうえで、質感シミュレーターを開発した。


今後はCGによる平安時代の十二単の質感再現も

糸曲線をsinカーブによって定義し、三次元の糸モデルに糸の断面図を当てはめ繊維束モデルを作成。この繊維束モデルは特許技術だ。そして糸の太さ、経糸と緯糸それぞれの繊維の本数、糸の断面形状、撚りの強さ・方向・本数、織クリンプの曲率をパラメーター設定すれば、織物の質感を三次元でシミュレーションできるようにした。写真のように、1本1本の糸から繊維束をつくり三次元の織構造としているため、見る角度や大きさを変えながら完成の状態の質感を立体的に確認できる。

才脇助教授は「最近はシートやカーテンなど見る角度の違いでさまざまな模様が浮かび上がる生地も少なくありません。今回開発した質感シミュレーターはこうした生地にも効果を発揮すると思います。また、透明感があるかどうかで質感が変わりますが、こうしたトランスルーセントの生地もシミュレートできますから、CGによる平安時代の十二単の質感再現にもトライしたいですね。十二単は重いというイメージがありますが、実際は1枚1枚の生地がもっと薄くて軽かったそうです。今の絹糸は江戸時代に重さで絹の取引をした名残で太く、その太い絹糸を生産するために口の大きな蚕の系統を優先的に残したといいますから」とシミュレーターの可能性を紹介。
さらに、「現在はまだ計算が膨大なためリアルタイム性の追求は難しいですが、今後はプロの職人技をデータ化して織物設計や質感表現などに反映させ、リアルタイムで人体の計測から質感に応じた織物設計、身体につけての織り上がりまでシミュレーションできるようにしたいですね」とこれからの抱負を語られる。


VRによる布の触感再現の研究

才脇研究室では、CGによる布の質感表現のほか、布の触感再現の研究も進めている。これは、視覚、聴覚では非常にリアルに呈示できるようになった仮想現実(VR)を触覚の領域でも実現し、さらにリアリティを高めようというもの。そのため、健常者と触感にとくに敏感な視覚障害者の方に協力してもらい、振動する超小型のモーターであるICPFアクチュエータを数十組み込んだ触感刺激発生デバイスでレザーやボア、タオルなどの人工触感を指先で試してもらったり、触感ディスプレイで指先を刺激した時の脳の活動をMRIで確認したりする実験も行っている。
触感をコンピュータ制御してMRIで確認実験した例はなく、才脇助教授は「人工触感に対するサイエンスは日本から始まったもので、感性的なさわり心地を含めたマルチモーダルな認知の研究は世界で誰もがやっていない技術です。CGとVRを使って"質感を見て、触って、脳で感じる"という日本発の感性情報処理を実現できたら、というのが夢です。たとえば、何もない空間にスイッチがあって、押し応えがある。こうした新しいヒューマンインタフェースがあれば、視覚障害者の方にも感じてもらえ、人々の新たなコミュニケーションデバイスになっていくと思うんです」。


学際的な視点で、メディアの新しい可能性の追求を

科学者でありながら小説やイラストを書くのが好きでCGやアニメーションキャラクターの作品もつくる才脇助教授は、かつて誰でもアドリブ感覚で音楽を楽しめる協調型自動演奏システムも開発。若いサイエンティストやクリエイターに期待するものとして、「CGやVRを接点にコンピュータを用いて誰もがレオナルド・ダ・ヴィンチをめざせる時代です。スタンフォード大学CCRMA(Center for Computer Research in Music and Acoustics:音楽音響に関する情報科学研究所)で研究をしていた時、研究所の学生は音楽学部に限らず電子工学や心理学、メディア、アートなどまったく異なった学科の人たちが集まってきていました。そこで、自分の得意分野を活かしたアイデアやノウハウを持ち寄り、学際的に学問をコラボレートしていくんです。たとえばCGと音楽を融合して子供が楽しめるインターフェースをつくろうといったら、みんなで小学校や高齢者、障害者の施設を訪問。どんなインターフェースなら使いやすいか楽しんでもらえるかを実際にヒアリングしながらプログラムなどにフィードバックさせ、もっと楽しく使いやすいものを生み出していきます。日本では今までサイエンティストとクリエイター、お互いの垣根が高かったんですが、そんなものは取っ払って"いいものは美しいものである"という気持ちでお互いに協力し合い、もっとメディアの可能性を引き出してもらいたいと思います」とエールを送られた。

[Vol.5] 「CGをコミュニケーションツールに」インタフェース研究でCGに新たな可能性
[Vol.4] SIGGRAPH2005特集
[Vol.3] 公平で円滑なデジタルコンテンツの流通をめざして。
[Vol.2] 世の中に真に役立つ技術を求めて。
[Vol.1] 人間の個性や人間らしさをデジタルでサイエンスする。
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